小学生の頃の同級生が今でも許せない話
私が小学生の頃在籍していた6年4組は、学級崩壊していた。
クラスには、やんちゃな同級生の男の子5人組がいた。
そいつらが大好きだったのは、「いじめ」。
毎日クラスの誰かにちょっかいをかけたり
暴言を言って嫌な思いをさせたりしていた。
わたしもよくいじめられた。
休み時間に筆箱でキャッチボールされたり、道具箱の中身を盗まれたり、私物をゴミ箱に捨てられたり。
もちろん私以外が標的になることもよくあった。
クラスメイトの着ていたパーカーに油性マジックで落書きしたり、
上着を奪って振り回して、そのままゴミ箱に投げ捨てたり。
私物の雑巾に火をつけて、ベランダから投げ落としたりなんかもしていた。
思い出すだけでも反吐がでる。
でも、私以外の誰かが被害にあっているとき、
止めに入ったわけじゃない。
口を出したら自分にも火の粉が降りかかってくることをわかっていた。
もちろん、私が教室で大々的にいじめられているとき、助けてくれた子もいない。
そのクラス全体が、なんとなくそういう雰囲気だった。もうみんな諦めていた。関わらないことは、暗黙の了解だった。
当時の担任は女の先生でまだ若く、赴任して3年目だった。6年生の担任は初めてで、学級経営が上手ではなかった。
先生も、クラスが荒れに荒れていることはわかっていたと思う。でも、何もしてくれなかった。教師という仕事は大変で、彼女は自分のことで精いっぱいだったのかもしれない。つまり、「何もできなかった」が正解だろうが、そんなの子どもからしたら知ったこっちゃない。
自分たちのクラスの大人は担任の先生だけで、その人は私たちにとってただの「なにもしてくれない大人」だった。
学級崩壊は歯止めを知らずに加速して、その内授業もできなくなって、担任の先生は学校に来なくなった。
私の小学校の記憶はそこで止まっている。だから私は、小学校にいい思い出なんて一つもない。
頑張って思い返せば一つくらいはあるのかもしれないが、もう思い出したくもない。
卒業式は泣けるはずもなく、そのまま私は学区外の中学校に進学した。
学区外だったので、知り合いは殆ど居なかった。
1からの学生生活がスタートすると意気込んで、初クラスの掲示板を眺めた。
そこには、やんちゃグループの内の1人の名前が載っていた。
ため息が出た。絶望に似た感覚が襲ってきた。
まさか、同じ中学に進学してくると思わなかった。
しかしここから、随分予想外の展開が待っていた。
初クラス、私が初めて友達になったのは、違う小学校出身のギャルの女の子。活発で好奇心旺盛で、なによりかわいかった。
それが皮切りになったのかは知らないが、
かつて私をいじめていた同級生が、私に優しくなったのだ。
落とし物は拾ってくれるし、気軽に話しかけてくるし、下校時には、帰り道気を付けてねなんて声をかけてきた日もあった。
吐き気がした。
彼の行動の裏にある心理はなんなのか?
小学生よりも中学生の方が、男女の隔たりは複雑になり、近くなる。小学生の内は、女子たちがどんな人間関係を構築していようと、「男女」という壁が明確なので、あまりそれに感化されない。
それに比べて中学生は、仲良くする異性をしっかり選択しようとする傾向にある。つまり男側にとって、今風でいう「女子カースト」というのは重要な判断基準になるのだ。
完全な手のひら返しにも、思春期の人間のあからさまな心境の変化にも嫌気がさした。
彼は、同カーストにいる私と仲良くしないと、他の可愛いギャルたちとお近づきになれない。
私は特に仕返しもしなかったし、深くかかわりを持つこともなかった。彼の言葉には適当に返事をして、同じ空間に彼がいても最低限の接触しかしないようにしていた。
顔も悪くない、運動もできる。イケてる部類に入っていた彼は、学区外の小学校の事情なんて何も知らない女子たちと、すぐに打ち解けていった。
私の中学生活は、少しのしこりを残しながら、比較的平凡に終わっていった。
この間、そんな彼と同窓会で再開した。
酔っぱらった彼は、顔を赤くしながら「帰り気をつけろよ」と近寄ってきた。
まるで、かつてのことは何もなかったかのように。
まあ、ずっとそうだった。これからも、そうなんだろうと思う。
この世はなかなかに不平等で、うまくいくことなんて多くない。
こいつみたいな人間は、そういう「不平等」を一つ一つ受け入れながら、頑張って前を向いている人がいることに、これからもずっと気づけないんだろうな。
ただ、私にとってあの時の記憶は、10年以上たった今でも鮮明だ。
許そうなんて思ったことはないし、これからも多分、許さないよ。