夢は何となく叶わないもんだと思ってきたけど
※書き初めは2024年9月。何度も推敲しているうちにこんな時期になった下書き供養、棚卸し回です。主語のない駄文・散文読みにくくてごめんなさい!
これはFuture Diverになりたかった私の物語。
夢がなくなったのはいつから?
15年前の私には多分あった。
就職は色々あった先で、うまくいった。願っていた通りになった、つまり夢は叶った。はずだった。
いろんなことに潰れつつ騙し騙しやって5年、私はそれを手放した。シンプルに身体が動かなくなった。ずっときつかった。
さらに途中にあった震災の衝撃で、夢に加えて未来が消えてった。
仕事で叶えた夢は手放したけど、まだぼんやり描いていた2つの夢がある。
それはそのくらいの年齢になれば、なんとなく勝手に叶うだろうと思ってた。
だけど、そんな訳ない。
子ども向けアニメみたいなどこにでもある「一般家庭」が誰にでも手に入る時代じゃなかった、時代のせいじゃないんだけど。
ある時期、朝が来るたびに。
自分がどこを生きていて、誰なのかわからなくて、歪んでいて、何がしたいのかわからなくて、明日はいらないと思ってた。今日で終わらないかな。
縛りや囲いや、なんかもう物理的にも本当に苦しい時期だった。
煮詰まって妥協して
人並みに結婚して出産したかった。
でも、年齢の節目節目で叶わないと焦って憂鬱がすごい時期。正直、これは今も続いている。
これは女という性と、年齢との戦いの部分が大きい。
なんで女に生まれたんだろうね、幼少期はずっと男の子に生まれたいと思っていたし大人になってもずっと苦しめられた。
年齢についてとてもどうでもいいことを言うと、東雲は実年齢を当てられることがあまりない。見た目とかじゃなくてノリとテンションの問題なんだろうけど、私を知る人はなんとなく想像の+5歳くらいだと思ってほしい。想像と10歳くらい違ってとても驚かせてしまったことや、新卒くらいかと思ってたって言われたけど、流石にそれはない!!((年齢との戦いについては過去noteにもちらほらとありんす))
そんな「普通の幸せ」みたいなものがないなら生きている意味ない、と思っていて。
そこからある種捨て身的に、一人暮らしを始めて、物理的に身軽になって、カルマを断ち切って、ネットで自由に生きて、でんぱ組に出会っていく。
悲しいくらいに満たされたこの世界で
捨て身で生きるようになってこの10年、思ってもみない愉快な日々で。まぁ楽しい。
楽しいんですよ。
一人暮らしを始めて、ヲタクを始めて、遠征や旅に行き、友人が増えて、カメラを始め、毎週飲み明かし、仲間たちといろいろなプロジェクトたくさんやって。
色々あるし、うまくいくことばかりじゃないけど。
これが自立ってやつかなとか。
今の仕事も、過去に手放してしまったと思った夢の続きをずっと歩んでいる。
なんならもっと深く大きく、学生時代に思い描いていた以上にどっぷり。
夢を叶えている!という実感より、ライフワークとして、趣味として、好きなことをやってるという感覚、まぁ色々大変だけど!
負けて負けて睨んで睨んできた分、戦の仕方は上手くなってきた気がする。
私はいつだって自惚れと戦っている。
婚活は、5年くらい続けた。もっとかな。覚えていない。
60人近くに会ってきた。私自身、何も得ようとしてないから心は1mmも動かず、どうでもいい刀の傷が増えていった。でも素振りはやめなかった。ずっと不毛だったけど。
大きな挑戦もして、それで結構諦めもついて年齢との戦いもやめられるようになった。
こんな風に、夢がなくても明るく楽しく生きて、別に夢って必要ないか、流された先で楽しんでいければ。
願ったことは、諦めればいいんだ。
何も願わないほうが。
自由で、やりたいことがやれて、充実していて、少しの欠落感は別のもので埋めてるからいいんじゃないの。
それでもずっと「夢がない」が私に覆い被さってくる。
北極星のような、目指す場所。それがずっとない感覚。
だらだらと穏やかに日々を過ごしてオールオッケー、ってなればいいのに、そうはいかない。私のこだわりなんだけど。
どこかの星に向かって飛びたいのに、ずっと闇を旋回している。
いつまでもどこにも辿り着かない。昼か夜かもわからない同じ景色、楽しいこともたくさんあるけど、何かがずっと埋まっていない。
迷子の衛星、どこに向かっていけばいいのか。どこに帰って休んだらいいんだろう。
矛盾を感じることもある。
夢を叶えるときには、今持っている自由とかを手放すような気もしている。
「我慢」をすることが怖い。「夢のだったようなもの」を実行するには我慢だらけだ。
仕事や好きなことをしていく人生も諦められない。
あーなんで男に生まれなかったんだろう。
リミットがある人生を押し付けられて、価値観を押し付けられて、ずっと気まづい女の人生。でも女に生まれてよかったと思うことが増えたから、そこはもういい、許す。
でもさぁ、全部ほしいものが手に入ればいいのに、わたしたちばっかり不幸じゃん。
やってみたら不幸でも我慢でもないのかもしれないけど、私にはどうしてもそのハンデを負う覚悟がなくなってしまっている。
でんぱ組のメンバーは、卒業したメンバーも含めてこの女の人生と戦っていると思っている。そこが、彼女たちを尊敬して力をもらう部分でもある。
追記
どこかのnoteで夢がないなぁを書いていたと思って振り返った。
あっちこっちにおんなじことばっか書いてた。
夢の先は何があるの、夢の先は夢しかないの。
でんぱ組がエンディングを発表してから、ずっと反芻していることがある。
夢がない私の夢は、これまででんぱ組に全部預けていた。
メンバーや推しが幸せならいいな、武道館の景色がもう一度見たいな、たくさんライブしてほしいな、地元に来てほしいな。
全くの他人任せだなぁ。
一緒に夢を追いかけてきた自負はあるけど、一体私は何をしてきて何を目指すの。それでも大きな柱が一つ、スポンとなくなってしまう感覚。
エンディング発表の日、2024年4月、恵比寿の会場前で大号泣したことが忘れられない。私の全てがなくなってしまう、消えてしまう。そんなの嫌だ。
だけどじっくり時間が経って、色々とライブに行って、ラストEPを聴く中で見えつつあるものもある。
エンディングって終わりじゃなくて、ずっと長い旅の1つの到着地で、また次にどこかに向かう始まりで、その荷物にはたくさんのでんぱが教えてくれたことが詰まっている。
夢がないことと、未来がないことは別だなとか、そして夢の先は夢しかないのってこと。
その目的地がどこにあるかはまだわからないんだけど、エンディングまでに何かを掴めたらいいなと思っているところです。
私もFuture Diverになって泳いでいけるのかな。
夢の続きを聞かせて
と、書いていたエンディング発表後〜10月仙台ライブくらいの感情と、今、11月に思い描いているビジョンは実は全然違ってきています。
これだけ私なりにエンディング後の人生をどうしたらいいんだろう、って彷徨ってきたけど、こうした棚卸しやいろんな出会いや経験、そしてエンディングツアーを楽しみながら一気に変わりつつある。
そんな中でこの下書きは消そうと思ってたんだけど、やっぱり私のストーリーとして必要な部分だな。と供養。
エンディング発表後に、私には、2つの夢ができました。
そのことについてはいつか、また。
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