新生・小牧城
織田信長は那古野出身と言われていますが、当時の戦国「武将」の血筋なんぞいい加減でしょうから、先祖は誰やらわかりません。
比較的はっきりしているのは、信長のお母さんは土田御前という方で、可児市出身であるため、おそらくは岐阜の方が信長のホームタウンであったのではと思います。信長が小牧城にいたのは永禄10年から約4年ほど。その後すぐに岐阜城へ移っています。
しかし、発掘調査の結果、麓には曲輪が整備され、武家屋敷が立ち並んでいた様子がわかってきました。山頂の城は籠城用ではなく、人に見せる用、あるいは見張的な役割だったのでしょうか。いずれにせよあまり戦闘用ではなかったのかもしれません。岐阜城に移る時には、家臣団も整然と退去したようで、再利用するための木材その他、持っていけるものは全て持っていっています。
その後、この場所は放置されていましたが、天正12年の小牧・長久手の戦いで、急遽陣城として再整備されます。現在も残る堀や二重の土塁はこのときのもののようです。この戦いは、秀吉vs織田信雄&徳川家康で、結局のところ秀吉の天下統一を進めた…と言われていますが、いまいちよくわかりません。
地道な発掘調査で当時の小牧城の姿がだいぶわかってきています。同時に現在の市民の憩いの場であり、春や夏にはお祭りが開かれ、夏には薪能が開催されることも。山全体も広範囲に木々に覆われ、季節の花も美しいところです。
こういう場所を守っていって欲しいと共に、もう少し色々な人にきてもらいたいな、という気持ちもしますね。