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「神鬼」なまはげ

 男鹿半島に行ってまいりました。
「年の折り目に神が来臨して人々に祝福を与える最古の民間信仰」として、重要無形文化財、ユネスコ無形文遺産に登録をされているなまはげですが、私はホンモノ(?)を見たことがありません。なまはげ見たい!と、男鹿真山伝承館、別名なまはげ館へ行きました!


 伝承館の奥には、真山神社があります。お参りだけしておこうと軽い気持ちで神社の前に行って、絶句。ここはもとは山岳信仰の総本山であったようです。

え…登山道…?

 景行天皇の御代に武内宿禰が北陸諸国視察の際に男鹿半島に下向の際、祈願し、邇邇藝尊、武甕槌尊を祀ったのが最初であると伝えられます。
 平安時代に仏教が伝えられると、ゆっくりと神仏習合していったのでしょう。中世にかけては、修験の地となり、最初は天台宗、のちに真言宗の寺となりました。本山は別当光飯寺であったようです。
 その後も、安倍氏、清原氏、その後は平泉藤原氏の保護を受けて、修験霊場として勢力を誇りました。江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹氏の祈願所としてもたくさんの寄進を受けていました。
 そして、明治がやってきます。
 明治五年に出された「修験道廃止例」は、出羽の修験道を徹底的に破壊しました。寺院、仏像は破壊、廃棄、大勢の僧たちも、神職になるか、還俗を迫られました。おそらく、この別当光飯寺でも同じことが起こったことでしょう。


 現在の「真山神社」の石段前には仁王門が見えます。もともとは旧光飯寺の山門でありましたが、明治以降は神社の神門となっています。

仁王門
江戸時代のものらしい

 神門手前の宝筐印塔もまた、仏教関係の建造物ですね。

写真切れてる(泣)
狛犬は新しいもの
社殿は昭和34年新築
神社脇を上がると小堂がある

 現在の社殿の横の小堂(薬師堂)には、薬師如来坐像が祀られており(その周囲は十二神将??)、もとはこれが別当光飯寺の本尊だったようです。

 廃仏毀釈の波が訪れたのは確かでしょうが、本尊であった薬師如来像が残っているところを見ると、緊急避難的にどこかに隠していたのかもしれません。人々はこっそりと本尊へのお祈りをしたのかも、と思うと複雑な気分になります。

 

大晦日の夜に行われる、「なまはげ柴灯まつり」はここが会場のようです。寒そうだなあ…
中には神輿が収められていました


 さらに奥まで行ってみたかったのですが、現在秋田県には熊注意報が出ていること、全く登山の準備をしていなかったので、諦めました…

皆様、熊除けの鈴を持った完璧な格好で登山されてる

 秋田を旅した江戸の紀行家、菅江真澄が「男鹿の島風」の中で書いている「本山日積寺永禅院」というのかここなのかな、と思うのですが、どうなのでしょうか。

 この山は豊御食炊屋姫天皇(推古)の御代にはすでにひらけ、嘉祥(848)・仁寿(851)のころ、円仁(慈覚)大師が法を行ったとされているが…(略)

 中興の二十八世までは天台宗であったが、二十九世の頼賢法師から真言宗にうつった。天台宗当時は、四十八箇坊、寺は大寺をはじめ、九箇寺があった。寺の名前は…(略)

 正月三日に、油餅を鬼に手向ける行事をする堂は、たいへん広い。六月十五日は、逆柴祭といって…(略)

『菅江真澄遊覧記 5』内田武志・宮本常一編訳
平凡社ライブラリー

 この中には、羽黒山についても書かれており、東北一帯での修験道のつながりがわかります。

彼が来てるのは確かみたい(笑)


ちょっと無理だわ…

 社務所の奥へさらに進んだところが、もとの別当光飯寺の跡地であったようです。その前庭にあたる場所には県の天然記念物に指定した、慈覚大師お手植えの榧の木があるのだそう…
 次回に来る機会があれば、江戸時代には庶民の登拝も盛んに行われていたという修験者の道を歩いてみたいと思います。


なまはげ

 なまはげは男鹿半島全域での習俗でありますが、それぞれの地区で少しずつ異なるようです。真山のなまはげには角がなく、神の使いであるとされているのだそうです。

神の使者「神鬼」

 真山神社でお祓いを受けたなまはげは二人組で大晦日に各家を回ります。家にやってくる際には、先立という来訪を告げる使者が、家に入って良いかを尋ねます。その年に死者、あるいは出産がある家には入らないのだとか。穢れを避けるためなのでしょう。
 

大きな音と共になまはげが入ってくる。びっくりした…
体力がいりそう…


夕暮れふかく、灯をともして炉のもとに、みながくるま座になっているとき、突然、なまはげがはいってきた。角が高い丹塗り(朱色)の仮面を冠り、黒く染めた海菅の髪をふり乱し、けら(肩蓑)というものを着て、何が入っているのか、からからと鳴る箱をひとつ背負い、手には小刀を持って「わあ」といいながら不意にきた。「それ生身剥(なまはげ)だ」と、童はびっくりして声もたてず、人にすがりつき、ものの陰ににげかくれる。これに餅を与えると、「わあ、こわいぞ、泣くな」などと脅かすのである。

『菅江真澄遊覧記 5』「男鹿の寒風」
内田武志・宮本常一編集
平凡社ライブラリー

 ゲームばかりしてなかなか宿題をしない息子に手を焼いている母としては、なまはげさんの登場を願いたいところですね(笑)
 なまはげが身につけている蓑(ケデ)から落ちた藁は、持っていると御利益(?)があるそうですので、拾ってきました😂