見出し画像

ぼくと彼の人の夜明け前:米津玄師”YANKEE”

2014年リリース メジャーデビューしてから初めてのアルバムであり、米津玄師名義では2ndアルバムとなる作品

2014年の僕は、ひたすらにニコニコ動画を見漁っていた。
ゲーム実況、~してみた、ボカロ曲などなど、兎に角何もかもが新鮮で刺激的だった。

そんな中でも特にボカロ曲にどっぷり使っていた記憶がある。テレビで垂れ流される流行歌とは何かが違う、自由で、独りよがりで、なんかカッコよかったんだ。
今思えば、あれが自分にとっての音楽の原体験だったと思う。

当時塾通いをしていたのだが、都合よく同類の連中ともだちが身の回り何人もいたので、毎回のように話は盛り上がるわけで、
何の話をしたか忘れちゃったけど楽しかったな。

そんなぼくらの中でも、共通のカリスマ的存在が幾人かいた。
ボカロPで言うなら、カゲロウプロジェクトを手掛けたじん(自然の敵P)
そして、米津玄師もといハチであった。
あまりにも懐古厨じみた話なのだが、僕は未だに氏のことをボカロPとしてみている節があって、「ハチの別名義で米津玄師をやっている」という思い込みがこびりついている。

このアルバムは、まだ日本を代表するソングライターになる前の彼が、あるいは「ハチの別名義で米津玄師をやっている」時期の最後にあたる頃にリリースされたともいえる。

M2「MAD HEAD LOVE」、M5「メランコリーキッチン」、M9「ししど晴天大迷惑」あたりは何度聞いても、シュールなコメディ音楽でやっているのかという気になる。
ところが、M1「リビングデッドユース」、M7「花に嵐」ではストレートなロックナンバーを展開させるし、バラード曲も独白的なM4「アイネクライネ」、讃美歌の様相を呈しているM6「サンタマリア」と幅広いジャンルを一緒くたに押し込んでいる。

なのに、一貫して米津節がぶち込まれまくっているが故、不思議な統一感を帯びている。

個人的に、彼が手がける楽曲の持ち味は、"心地よいごちゃごちゃ感"と"楽曲世界のトンチキ具合"の2つにあると考えていて、YANKEEはこれらの要素が存分に詰め込まれていると思う。
歌詞の雰囲気には仄暗さが漂うこともあるが、時としてシュールにも捉えられるサウンドが、奥底にあるギラツキへと昇華させている。

心の内に闇を抱えていても、不敵でシニカルな笑みを浮かべて立ち向かう。不安定で危なっかしい、なのに期待せずにいられない。タダでくたばる訳にはいかない。
独善的なギラツキは初期衝動と真正面からぶつかって、眩い輝きを放つ。
あの時僕が魅了され続けた何かがここにあるんだ。

今や国民的シンガーとなった彼の夜明けを高らかに告げるには、この作品は文句なしの快作だと思う。

そんな輝きの下で、僕の音楽趣味はひっそりと日の出を迎えた。どうしようもない鬱屈にはギラついた音楽が特効薬になったのだ。
耳から爆音を流し込めば、少しだけ強くなれる。不格好な笑顔でクソッタレ共を嘲笑ってやるんだ。

ハッピーで埋め尽くしてレストインピースまで突っ込む、そんな僕と彼の人の夜明け前の物語。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?