アトリエは私の海
私はずっと居場所がなくて彷徨っていた。
家族には恵まれているし、家庭環境も複雑じゃない。友達もそれなりにいる。でも何故か、ずっと、ここじゃないどこか、に行きたかった。
初めてそれを自覚したのは中学受験前のことだった。寝ても覚めても勉強のことばかり。遊んでいたかった小学生時代。まだ言語化能力が拙かった私は、なんども繰り返し『世界が灰色に見える』と伝えた。それが当時の精一杯だった。
深夜に目が醒めて徘徊することもあった。何度も母を心配させた。
大学生になって、カメラを手にした私は、海に向かうようになった。深夜の駅をうろついて、始発の電車で海に向かった。
薬を飲んでいなかったので、興奮状態のようになっていた。見るもの全部きらきらしていた。でもそれは一瞬の魔法だった。
帰る電車の中、離脱作用(薬が抜けていく作用)で吐き気がする。吊り革がぐらぐらしていると思ったら私が揺れていた。海に行っては何度も駅で倒れた。
薬を飲んでいなかったら、世界はずっときらきらしているのかもしれない。でもきっと全部が光っていたら日常生活に戻れなくなっちゃうな。
去年、つまり2023年の10月、大学四年生のときに転機が訪れた。
『四ノ宮さん、そろそろゼミ室に置いてある電気炉どかしてくださいね。少なくとも卒業までには』
そうなのだ。
実は私は、まあまあでかい電気炉を何故か写真ゼミのゼミ室に置かせてもらっていた。電気泥棒だ(許可はもらっていた)。
卒業したら、このまあまあでかい電気炉、どうしようかな、と考えた時に実家を思い浮かべた。
私の部屋はとても汚い。服やパーツの入った段ボールが山積みになっている。
電気炉は880度まで上がるとても高温で危険なものだ。
引火する。間違いなく。
そう判断した私は、アトリエ探しに奔走することになる。
とはいえ、共同アトリエなど借りればいいだろうと思っていた私は甘かった。どこも空きがないか、木造のため電気炉が置けない、もしくはエアコンがない、狭い、などの理由で入居できなかった。
友人と共同アトリエを開く、ルームシェアという手もあったが、前述した通り私の掃除スキルや家事スキルはどこかへ行ってしまったので諦めた。
いっそのこと今住んでいるところから近いところなら、病院も変えなくていいし楽なのにな。
と呟いたところ、母がパソコンで検索をかけてくれた。
すると、ワンルームの平均価格がおよそ7-8万の地元で破格の3万で借りられる物件が存在することがわかった。
飛びつく私をよそに、父と母が心配そうに内見についてきてくれる。とんとん拍子で話は進み、10月から借りることとなった。
電気も通る。ガスも通る。しかもロフトがある。わたしだけの城。
アトリエは、カメラやフィルムの管理・ガラスを焼く電気炉の設置・趣味のロリィタのワードローブと三役を兼ねている。
夜、眠れない時に泣きながら彷徨っていた私の帰る場所ができた。時計は置いていない。自由に過ごすためだ。
好きな香りのアロマを焚いて、写真集を読んだり、友人を呼んでパーティーをしたり。もちろん制作にも使っている。
本当に小さな、だけど大事な、私の海。
これからもここで少しずつ宝物を増やしていきたい。
2024/07/19
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?