目指せ出版! 日本史のセンセイと行く全国制覇の旅19 関ケ原と潜伏キリシタン

【天下分け目の関ケ原】
 日本史上の戦争、乱の中で小学生でも知っている戦いナンバーワンといえば、やはり1600年の関ケ原の戦い(岐阜県)ではないでしょうか。勝利した徳川家康がその後、260年にもわたる徳川時代を創出するきっかけとなった天下分け目の戦い。豊臣家に忠義を誓う石田三成と、諸大名の人間模様。大谷刑部の三成に対する友情、島津の退き口、小早川の揺れる心情、真田に足止めを食わされる秀忠など、誰かに感情移入できる、そんな魅力的ないくさですよね。
 岐阜県関ケ原町には「関ケ原古戦場記念館」があって、視覚的にも体験的にも関ケ原の戦いを理解しやすいようになっています。もちろんひとつひとつの史跡巡りをしたい人もいるでしょうから、レンタサイクルが準備されています。「開戦地」や「決戦地」、各大名の陣地などに石碑が建っています。周囲には武将の紋を染め抜いた旗竿がはためいていますので、分かりやすいと思います。
 「古戦場記念館」は近年造られたとあって、映像作品に力を入れています。1階のシアターでは、神田伯山が講談風ナレーションを務める映像が流れます。これだけでも一見の価値あり! 予約のある人が優先で、混雑具合によっては入れないこともあるそうなので、訪ねる場合はシアター予約をしていくことをオススメします。
 
【潜伏キリシタンのはなし】
 時代は一気に下って江戸時代。大坂の陣で豊臣家が滅んだあと、徳川氏は豊臣氏の痕跡を徹底的に消し去ろうと、豊臣大坂城のうえに新しく徳川大坂城を築きました。現在その豊臣時代の石垣を公開しようというプロジェクトが進んでいるようですが、基本的にこの戦い以降、江戸時代260年間には、いくさらしいいくさは起こりませんでした。ただし一つ例外が。武将同士のいくさではありませんが、大名に対しての大規模な武力闘争として勃発したのが1637年の島原天草一揆(かつては島原の乱と呼ばれることが多かった)です。この一揆の原因は厳しい年貢の取り立てと、キリシタンに対する取り締まり。年貢が納められないと蓑を着せて火をつけるなんていう恐ろしい拷問が行われたようです。キリシタンの取り締まりや制裁については遠藤周作「沈黙」(新潮文庫)やマーティン・スコセッシ監督の同名映画でも描かれています。
 元々の一揆は島原(長崎県)で起こったものと、天草(熊本県)で始まったものと別々のものでした(だから最近では島原の乱、ではなく島原天草一揆と呼ぶようになってきているのです)。それが天草四郎(益田時貞)をリーダーとして合流し、島原半島南端の原城に立てこもって一揆を続けることになりました。一機軍の総数はおよそ37000と言われています。その中にはキリシタンだけでなく、浪人となっていた武士たちも多くみられ、また一揆に巻き込まれて参加してしまった人たちもいたようですね。幕府軍も巨大な戦力を投入して鎮圧を目指しましたが、一揆はおよそ4か月続き、最後は兵糧攻めに耐えられず、一揆軍は全滅します。ところで全滅というとどのくらいの人が死んだとイメージしますか? このときの一揆軍で助けられたのは内通していた人物ただ一人、と言われています。つまり文字通りの全滅ですね。近年の発掘調査では大量の人骨が出土したとのことで、その凄惨さが分かります。原城は二度と一揆軍が利用しないように徹底的に破壊され、現在では城が建っていた面影もありませんが、本丸跡には天草四郎の像が建っています。
 こうして一揆を鎮圧した江戸幕府は、それまで以上にキリシタンの弾圧を進めます。有名なものには「絵踏」を行わせて信者を発見する、寺請制度によって人々を寺と結びつけるなどがありますね。これによって長崎中心部からはキリシタンが姿を消したとされていました。
 しかし中心部以外では神父不在でも自分たちの秘密組織を作り、信仰を続ける「潜伏キリシタン」も多くいたのです。彼らはアマテラスや観音像をキリスト、マリアに見立て祈りを捧げるなどして、表向きは仏教徒として生活を続けました。こうして独自の信仰が守られて2世紀。時代は明治を迎え、諸外国と通商修好条約が結ばれます。そして外国人用に造られたキリスト教施設が大浦天主堂(長崎県)。当時この建物が珍しく、人々は「フランス寺」と呼んで見物に来ていたとか。その中に一人の婦人がいて、宣教師に小さな声で話しかけました。
 「ワレラノムネ、アナタトオナジ」自分たちもキリスト教徒だという告白です。続いて
 「Santa Maria gozo wa doko」(サンタ・マリア御像はどこ?)と聞き、マリア像に祈ったのです。これがキリスト教世界に大きな衝撃を与えた「信徒発見」。キリスト教徒はすでにいなくなっていたと考えられていた日本に信徒がいる。これは奇跡だ、と当時の教皇も涙を流したと言われる出来事でした。
 これらのことが世界中の国に認められ、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に認定されたのが2018年。大浦天主堂、原城跡、天草の崎津集落(熊本県)など12の資産から構成されています。

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