目指せ出版! 日本史のセンセイと行く全国制覇の旅27 各地の寺院 中尊寺

 岩手県には奥州藤原氏が残した都・平泉があります。前九年の役、後三年の役で戦没した多くの人を弔うため、藤原清衡が中尊寺を建てたのをはじめ、二代基衡が毛越寺を、三代秀衡が無量光院を造営し(いずれも世界遺産)、一大仏都が完成しました。なお毛越寺は「毛越寺庭園」が残っていますが、無量光院は跡しか残っていないため、寺院の建物を期待していくとガッカリしますので注意。その分中尊寺に多くの建物があるのでしっかり見学しましょう。

 まずは表参道である月見坂を上っていきます。ここで注意! この月見坂、思った以上にきつい坂です。歩きやすい靴で参拝しましょう。月見坂を上ると見えてくる最初のお堂が「弁慶堂」。弁慶とは源義経に仕えた武将で、義経を守るために何本もの矢を受けても立ち続けた「弁慶の仁王立ち」のエピソードが有名。お堂の中に入ると義経と弁慶の像が安置されています。平泉ならではのお堂なので、ぜひしっかり見てください。参道の途中、本堂のすぐ隣にある「峯薬師堂」は、目にご利益があるお堂。実はぼくはあまり目がよくないので、しっかりとお参りしてきました。
 
 中尊寺最大の見どころはやはり金色堂。参道の奥にあります。金色堂は黄金を守るため、鎌倉時代から覆堂に守られています。現在の覆堂はコンクリートでできていますが、その中に入ると・・・
900年もの前の仏像なのに、こんなに金が残っているのかと声を失うほどの美しさ。マルコ・ポーロがその著書「世界の記述(東方見聞録)」のなかで黄金の国ジパングとして紹介したのはこの中尊寺金色堂のことを聞いたのだ、と考えられている(マルコ・ポーロは実際に日本に来ていないので、中国でその噂を聞いたのだと思われる)。たしかに金色堂はみちのくが産出した黄金の贅を尽くした建物になっています。でも実際に金色堂を造るのに最も費用や努力を要したのは螺鈿や香木、象牙だったようなんだ。金は東北地方でとれるけれど、螺鈿なんかは輸入するしかなかったからね。どうもこれらは中国・江南の港から直接もたらされた可能性が高いらしい。金色堂を造るものと、螺鈿などを購入するものと、想像を超えた量の黄金が産出したということだね。

 2024年は中尊寺が建立されてからちょうど900年の年。それを記念して東京国立博物館で特別展を開催していました。実際に金色堂に行ったらこんなに近くで見られない! というほど近くで、前から後ろから左右から中央壇に鎮座している国宝の仏さま11体を見ることができました。これはどんな展覧会でもそうなのだけれど、展覧会に行ったら帰りには図録を買うのがオススメ。おうちに帰ってもその素晴らしさを味わうことができますし、実際には見えないような細かい部分もアップで写真を見ることができますよ。

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