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どうでもいいこととそうでないこと

おはようございます🤗
今朝は起きた瞬間から慎吾ママこと香取慎吾さんが歌う、おはソング?(そんな名前だったけかな??)を歌っていたら、主人になんでその歌?と聞かれ、自分でも「謎」でした。
今日は「どうでもいい」とうい肩の荷を下ろした考えについて深掘りたいと思います🙂
ちなみにこれはMBさんの昨日のvoicy配信の内容を元に書こうと思いますので、是非気になる方はMBさんの昨日のvoicyをチェックしてみて下さい😉
(6/14のMBさんのvoicy「仕事なんてサボってしまえ!憂鬱な朝を吹き飛ばすラジオ」

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●意外と完璧に何かをしようとしていることはどうでもいいことで溢れている

これ、まさに私ですね笑
本当にどうでもいいことってたくさんありますよね。
誰々がどう言ってたとか、それが気になって仕方ないとか、本当どうでもいいですよね。

もちろん全てのことが「どうでもいい」なんて思っていません。
昨日のブログで書きましたが、自分のダメだった点について「どうでもいい」という考えは違うかなと思っています。
自分のことって、本当に分かっていないなぁとUNCOMMONに入った時から感じています。

前田裕二さんの著書「メモの魔力」でも自己分析シートたるものが巻末にあるのですが、自分と向き合う時間ってなかなか取れないし、取ろうともしないと思います。

だからこそ、自分の悪い点を気付かせてくれた「相手」への敬意というか、「感謝」というか、何か理由をつけて自分を俯瞰することが必要だな、と思います。
「〜べき」という言葉に置き換えると、絶対的な正解はないからまた話がおかしな方向に行くと思うのですが、自分が感じている「不快な思い」「モヤモヤした感情」とかって絶対に相手も持っていると思うんですよね。
言う側には言う側の「正解」としていること「価値観」があって当然だし、言われる側にも「正解」としていること「価値観」があるのは当たり前です。
だけど「別にあの人の言うことなんて気にしなくていいや」とそれとは別の話。

何度も書いていますが、誰かと時間を共有するということは「相手の時間を奪っている」ことだと思っているので、相手が不快だと思うことを考えることは必要だと思っています。

明日からの自分のためにも、それはスルーしてはいけないことだと思っています。
だけど勘違いしない方がいいなと思うことは「ここが悪かったな」と思うことが重要で自責する必要はないということ。
失敗したら、また挑戦すればいいのだと私は思います。
「自責」したら次に進みづらくなるし、人間関係も絶対に悪くなると思います。だからわざわざここが悪かったです、とかその人に言う必要はなく、自分で気付いて、次からはそうゆうことがないように気を付ける、でいいと思います。

お金とか形のあるものでトラブルが起きた時が一番試されるなぁと思います。正直お金なんてどうでもいいんです。
だって働けばお金は入ってくるけど、人間関係が崩れたら、それは何よりも有益なものを失うことになると思います。

今後付き合いたくはない、という選択は悪いことではないと思います。
だけど、関係性を悪くするというのはまた別の話だと思っています。
自分の正解があるように、相手にも正解があること、それを忘れてしまうととんでもない方向に進んで行ってしまうと私は思います。

●分岐点で進む方向を誤るな

どうでも良くないことは「信頼を失う」ということが一番だと思います。
だから、人を好き嫌いでカテゴライズすることはしたくないし、それこそどうでもいいです。
人は人、自分は自分。
意見を言い合って、違うのが当然。
なのに、どちらかが正解だと決めつけるから、人間関係がおかしくなるんだと思います。

いわゆる分岐点に立った時に感情に左右されて、間違えた方向に進むことを避けるためには、自分の悪かった点をちゃんと俯瞰してみるということは絶対に必要だと思います。

人は1人では絶対に生きていけないから、他人を如何に許して、自分を許してもらえるか、それで共存って成り立っているのだと私は思います。

とはいえ、そんなに心広くないのでブチキレることだってあります笑
でも、怒っても何も変わらないし、怒るということは自分の主観が通らなかったから起こると思うので、1つずつ解決していくのがいいかな、と思います。

今日から新しい1日が始まります。
毎日そうゆう気持ちで1日をスタートさせましょう🤗


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今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました🙂
今日1日、皆さまにとってステキな1日でありますように✨
それでは、いってらっしゃい!!

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