ジョージア・オキーフがパイナップルを描かなかった理由
Day 12:
ジョージア・オキーフの軌跡を辿るという仕事で、マウイ島へ行ったことがある。
オキーフはドール社(当時は「ハワイアン・パイナップル・カンパニー」)から広告の依頼を受け、1938年ハワイにしばらく滞在していたのだ。
夫で写真家のアルフレッド・スティーグリッツの浮気&精神を病んでいたオキーフにとって、マウイ島のこの気候や初めて目にする文化は新鮮だったに違いない。
日系人の作ったお寿司を食べ「初めて生の魚を食べました」と夫に手紙を記し、中国や日本の影響を受けたようで身にまとう服もこのときから変わっている。
パイナップル農園の美しさに魅了されたオキーフは、農園の近くに宿泊したいというリクエスト出したが、「女性ひとりでは危険だ」という理由でドール社から却下、そのかわり綺麗に切ったパイナップルをオキーフへ贈ったがそれはオキーフを逆なでした。
それが理由か否か、オキーフはクライアントのドール社にパイナップルではなく”ヘリコニア”と”パパイヤの木”の絵を納品したため、
ドール社はマウイからオキーフがいるニューヨークへパイナップルをわざわざ空輸し、オキーフはしぶしぶパイナップルの絵を描いて再納品したという。
ニューメキシコの地に一人で移住し生活していた彼女にとって、農園の近くで暮らすことは危険なことなどなかったに違いない。
そして最近ドール社のバナナ農園での労働者の権利侵害について批判が起こっていることも、ここに記しておきたい。
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