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1なし

第2子が生まれた。病室から帰ってきて今日から家で一緒に暮らしている。生まれてから家に来るまでの約1週間は上の子どもS君(3歳男児)をワンオペで面倒みていた。脱線だが、ワンオペは確かすき家で問題が起きて以来、世間では劣悪な労働環境を指す悪い意味で流通されるようになったと記憶している。私はすき家で高校生の頃バイトをしていた。すき家の例のワンオペも経験したことがあるが、子育てのワンオペはちょっとそれとは比べ物にならない別次元の大変さがある。さて、2年程前から子育てを一つの軸として小説を書いている、子育てに関するエッセイは多く見かけるが、子育て小説をあまり知らないので、面白そうだと思って書いている。

書いていると、色々忘れている。子育ての事を忘れている。例えば生後2カ月に子どもがどんな状態が、首が座っているのだっけ、寝返りは、つかまり立ちはいつ頃だったけか、と当時は深く感動し、忘れがたい瞬間でも、時間が経つと大部分を忘れてしまう、人間というのは忘れていく生き物だからそれらは悲しいことではないし、私もそのような思い出の瞬間の一つ一つが手の届かないところへ去って行ってしまうことに、またそれらを留めておくことに執着してない。ただ、困ったのは子育て小説を書くのに、第1子の時に経験した諸々を忘れてしまっていることで、小説に使えそうなフックとしての当時の気持ちの瞬間瞬間は思い出すことができるのだけれど、具体的な、先述したような、いついつにどんなことがあって、その時どう対処し、どういう気持ちになったかという事がわからない。どこかに残しておけばよかったと後悔した。そんな後悔と不安を抱えつつ子育て小説を書き進めて行ったわけであるが、なんと幸運なことに小説がひとまずの終わりを見せようという所で、第2子が誕生したのである。

私がこれを書いているのはそういった背景があるからで、これは小説の創作メモのようなものとも言えなくはない。

第1子からのブランク期間があるので、勘を取り戻すのに時間が掛かっている。抱っこするのがこわい、首が座っていなくて綿のように軽いのがこわい、妻と第二子をピックアップし病院から家までタクシーで帰る時もどこかのタイミングで落としてしまわないかとひやひやした、妻は平気な風で、特にそれを感じたのは家についてミルクをあげた後げっぷをさせるのが私はこわくて、肩の付近に乗せた時に赤子の鼻と口が塞がって死んでしまわないか心配になってあたふたしていると、妻はこなれた風に指南してくれた。第1子が新生児だったころに簡単にできていたことができなくなっている。妻と私との差はなんであろうか。私が特段忘れやすいとか、妻は第2子の面倒を病室で既にみているという以前にもっと深い男と女の差があるような気がしている。


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