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長谷川櫂|決定版 一億人の俳句入門

俳句に興味を持った。だから、買って読んだ。

家事や育児に追われる中、ぽっと空く時間がある。スマホを弄ることは貴重な時間を安売りしているようで避けたい。本を読んだり映画を観るには疲れすぎている、文章を書くには脳みそが働かない。そんな時に俳句を詠む(というか頭の中で言葉を練っている)と、ラップトップの前でキーボードを叩いていなくとも、「自分はいま、ものを書くためのトレーニングをしているのだ」という気分になって、少し心が落ち着く。

俳句を詠むのに適した時間の流れの中で、いま僕は生活しているような気がする。育休中だし、世の中コロナだ。

所詮、素人の物まねである。基礎を知って物まねするのと、知らずに物まねするのとでは大きな違いがある。齧ってみようと思った。

僕は「小説を書いています」などと呑気に口にしているくせに、言葉を大切にできていない。もっと言葉を大切にしたいと願っている。僕には思考の癖があって、それは速くて軽いのだ。電動鉛筆削り器のように乱暴で安易な言葉が次々と出てくるだけだ。もっとゆっくりと吟味して、手作業でもって丁寧に鉛筆の木を削り出すように言葉が出てくるようでないと駄目かもしれない、と思う。そして、そのためには、言葉から遡っていって、まずは日々の生活を丁寧に過ごさないといけないのではないか。突き詰めて言うと、無意識の所作さえ、僕の場合は一度立ち止まって意識的にワンテンポ遅くなければいけない気がする。これはあくまで例えだが、紅茶を飲んだあと、カップを意識的にゆっくりとテーブルの上に置いてみる。いつもよりゆっくりと歩いて自然を眺めてみる。

いきなり接近できるものではないだろうし、日々の生活でこの抽象的なトレーニングをいつも実践しているわけではないが、こういう考えを一応頭の片隅に置くだけ置いて、最近の僕は生活をしている。

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