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10なし

福岡に引っ越した。

引っ越しは「いくじなシリーズ」とテーマ的に関連がないだろう。福岡に引っ越した、という書き出しはこの一連のエッセイの趣旨から逸れているように感じる。

いま僕は「趣旨」と書いた。そもそもこのエッセイに趣旨などという偉そうなものがあるのかしら。

そもそもこのエッセイに趣旨などという偉そうなものがあるのかしら。

−−−

ある、ある。

2つある。

①育児の記録を少しでも残して置けば後から見返すことができる、と思った。

②このシリーズを書きはじめた当時書いていた小説のテーマの一つが育児だった。

いずれも動機として、とても実用的だ。これは僕にとっての実用的価値のある子育てエッセイなのだ。

実用的価値のある子育てエッセイ

「いくじなし」の趣旨なぞを冒頭で書き出した理由はいまここまで書いて自分でよくよくわかってきた。

仕事復帰が迫っていることが理由の一つだ。前回の記事でも、仕事復帰について書いた気がする。気がする、というのは実際に過去の記事を確認したわけではない。だから、もしかしたら仕事復帰については、この記事で初めて出てきたトピックで、実際は繰り返し書いていないかもしれないが、事実として、繰り返して書いていると僕が思っている、そう思ってしまっている時点でかなり意識が仕事復帰に向いている。仕事復帰と書いたが、復職という言葉もある。復職という言葉はあまり僕にしっくりとこない。復職はテクニカルな感じがして、仕事復帰はもっとパーソナルな気持の部分も込められている気がする。育休を約一年取得した僕にとって職場復帰は結構ドキドキするトピックだ。「ドキドキ」とはつまり、いままで通りのパフォーマンスが仕事で出せるかだったり、新しい同僚と上手くやれるかだったり、仕事についていけるか、フルリモートできる環境だからといって東京を離れて移住してしまて万が一クビになったらどうしよう、とか、結構僕は心配性なのです。

結構僕は心配性なのです。

仕事の復帰が7月1日だ。毎月、長女の誕生日である18日前後に「いくじなし」を書いていたから、規則に沿えば次回の記事は6月18日で、それが「いくじなし」の最終回になる。そろそろ着陸態勢を整えるのもいい頃だろう、となんとなく思っていたのが書き出しの趣旨の部分となって出たのかもしれない。

次回の記事は6月18日で、それが「いくじなし」の最終回になる。

さて、成長記録。
前回の「いくじなし」で次のように書いた。

来月は、ハイハイしているでしょう。
そして間もなく、「ママ・パパ」と話し出すでしょう。
それから、つかまり立ちし出すでしょう。

9なしより引用

まさにハイハイをしている。ママ・パパともはっきりではないが言っているような気がする。つかまり立ちは短い時間ならできている。

まさにハイハイをしている。

ミルクはあまり飲まなくなった。あまり、というと具体的ではないので、具体的には一回の授乳で50ミリリットルから100ミリリットル程度。代りに離乳食を3食。朝はパンを細かくちぎってあげるのと、ヨーグルト。昼はうどんやなどのスープ麺類。夜は夕食を取り合分けてあげる。

先週、離乳食を油断して与えてしまった。ご飯を磨り潰したり湯がいたりせずにそのまま与えたら、消化不良を起こしてしまったみたいで、お腹がぱんぱんになって、熱も出た。近所の小児科で診てもらったら、熱よりもお腹の不調が心配とのことで整腸剤を処方された。熱は二日半で落ち着いたがやはり、子どもが健康を崩すとこちらまで苦しい気持ちになる。子どもの苦しい気持ちが親にも伝わるというのは、子どもが何歳になってもずっと続くものだと思う。

子どもの苦しい気持ちが親にも伝わるというのは、
子どもが何歳になってもずっと続くものだと思う。

娘はというとこちらの言っていることを、簡単な単語であれば理解しているようだ。例えば、「バイバイ」「まんま」それから「ちゅっちゅ」。「ちゅっちゅ」については説明が必要で、これは我が家でおしゃぶりを意味する固有名詞なのだけれど、このようなその家にしかないローカルな話題を書くと個性が出て記事として良かったかもしれない、と今更ながらに思う。

このようなその家にしかないローカルな話題を書くと個性が出て記事として良かったかもしれない

「ちゅっちゅ」は紫色のおしゃぶりである。生後間もなく妻が買ってきた。買ってきた、と言ってもアマゾンで購入したもので、近所のドラッグストアでは販売されていない。アメリカ製である。色々な形状のおしゃぶりがあるが、うちの子たちは、ということは上の息子の時もおしゃぶりを受け付けなくて苦労した。上の子の時に哺乳瓶の乳首なら空吸いでよく吸うので、似た形状のおしゃぶりがあればいいのに、と妻とそんな会話をして、その際本気でその哺乳瓶の乳首に似たまあるい楕円形の先っぽのおしゃぶりを探したのだろうか、昔のことで記憶はあやふやだが、とにかく僕と妻の間で理想のおしゃぶりについて会話を交わした記憶は二人ともはっきりとあったから、妻が下の娘が生まれて間もなくおしゃぶりを既に購入していた時も驚きはしなかった。妻が目星をつけていたそれは娘のSちゃんが生まれてから2、3週間後にカルフォルニアから届いた。コロナもあり発送が遅れたのだ。アメリカから取り寄せた、というとなにやらカッコいい響きだが、スタイリッシュさの欠片もないただの紫のぶよぶよした大きめのコインのようなシリコンの円があって、その中央が楕円形の伸び長い乳首になっている。

それをいつしか「ちゅっちゅ」と呼ぶようになって、2個買っていたのだが、ピンク色のものは東京のどこかの地下鉄の駅構内で妻が落としてしまって紛失し、残された紫のものを大切に使っている。

ピンク色のものは東京のどこかの地下鉄の駅構内で妻が落としてしまって紛失

おしゃぶりが過ぎると歯並びに悪影響であることは医学的にたぶん立証されている。いつか「ちゅっちゅ」離れしてくれるといいが、娘もそれがないと不安らしくずっとちゅっちゅしている。先に書いた「歯並びに悪影響」は、就寝中にずっと咥えさせている場合に顕著であると記事で読んだ記憶がある。寝ている時はこっそりと僕が外している。僕が、と書いたのは妻はそういうのに無頓着で、僕から見て危険なことも注意が届かない。届いても、楽観的に放っておく性格で、娘のSちゃんが生まれて僕は妻の大雑把に比例してどんどんと不安症・神経質になっていった。僕は紫のちゅっちゅを寝ているSちゃんの口から外して、いつかこのちゅっちゅも卒業させなければ、早い方がいい、今日か、明日か、なんて考えて、実際に妻に提案するが、妻は自分が選んだちゅっちゅというちゅっちゅに対する愛着があるのだろうかなかなか卒業させようとしない。

いつかこのちゅっちゅも卒業させなければ

ほら、このように、「ちゅっちゅ」について書いているだけで、その家族の雰囲気や夫婦のキャラクターが浮かび上がってきて楽しい。こういう各家庭特有の固有名詞はどの家庭にもきっとあるはずで、そういうのをもっと読んでみたいと僕は思っている。



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