鶏が先か、卵が先か~「かさじぞう」にみるじぶんの在り方~

ちょっともったいぶったタイトルつけてみました。

大学のころの指導教授はカナダ人の詩人で
英米文学専攻とはいえ、ろくすっぽ勉強もしなければ講義にも出席しませんでしたが
この先生の授業にだけは、毎回出席して仲良しでした。
夏休み、地方都市にある実家に帰っていたある日
郵便受けをのぞいてみると、先生から届いた
「Sahara Blue」のCD

エクトル・ザズーというフランスの音楽プロデューサー作成
東西いろんな国のすばらしいミュージシャンが参加して
アルチュール・ランボオの詩に曲を、歌をのせたアルバムです。

ランボオといえば、小林秀雄訳でぜんぜんピンとこず
(だって「貴様」だもんなあ)
ランボオは肌にあわないや、と決めつけていたけれど
このアルバムの歌をきくととても扇情的で素敵
フランス語わからんけど、朗読をこのアルバム聴いて
俳優のジェラール・ドパルデュー様好きになった。
そして、ほかの英語で歌われる、読まれるのをきくと
英語で読む、聞くと言語的に近いせいか雰囲気が伝わりやすいかも
と、英語の翻訳詩集を買いました。

当時つきあっていた、アメリカ人の翻訳者の男性によると
この翻訳者は、この翻訳のためにヨガのような修行までしたとか…?

いまだに全部読めてはいないけれど、ところどころ、拾い読みしている。

先生とは、その彼女とともにルー・リードの大阪公演にも行った
卒業して何年かたち、わたしがロシア人と結婚して子どもも生まれて4歳ごろ
先生50歳代、元生徒20歳代の結婚式にも呼ばれた。
サバティカルでスコットランドに行かれたあたりかしら、いつのまにやら、音信途絶えたけれどお元気かしら。

そんな先生の講義では、英語で書かれた、簡単で読みやすい本と動画をみて
「アメリカに渡ったグリム童話がアメリカの文化の影響をうけてどのように変化したか、元のグリム童話と比較して読む」ものなど。
課題図書として河合隼雄の「昔話と日本人のこころ」などがあり
そこから河合隼雄を知ってあれこれ読むようになりました。

民話の心理学的アプローチもあったりして
そのなかで、
「シンデレラならシンデレラ、人魚姫なら人魚姫と、じぶんが好きになった主人公と似たような生き方をたどるひとがいる。けれども、自分と相性の合う主人公を好きになるとも言えるので、どちらが先とも言えない」
というような、「鶏が先か、卵が先か」みたいな話もあったと思います。

いらい、「わたしが好きな昔話、民話の主人公は誰かなあ?」とつらつら考えることもあります。

赤羽末吉さんの「私の絵本ろん」を読んでいる、

という記事を先日あげましたが(まだ読み終わっていない)
本だなを探してみると赤羽さんの「かさじぞう」があったので読んでみました。

「私の絵本ろん」を読むと、
単純なストーリーのようにみえても、語り口や
絵による表現でじつは、印象がとても変わってくるのだなあと感心したものですが
この「かさじぞう」を読み直してふいと
「このおばあさんは『それはいいことをした』とおじいさんを評価してくれるひとだからよかったなあ、舌きり雀のおばあさんのようではなく。もっとも、赤羽さんの解釈のひとつは、じいさんが若くて可愛い女の子といちゃいちゃしてるからばあさんが嫉妬するのもやむを得ないのでは、って話だったなあ」
と思いつつ、はたと
「わたしは、このおばあさんであろうとしているな」
と思い当たりました。

わたしの母は、まああの時代、あの田舎の地方都市の専業主婦妻としては普通ではあったのでしょうが、責めてもどうにもならないことで「どうするのよ!なんとかしてよ!!」と父に対して金切り声をあげるようなひとでした。

あの母だったら、「ただでさえお金ない、しかも年越しだってのになにやってんのアンタ。バッカじゃない」となるだろう。いや、多くの家庭をになっている女の人はそうだろう。でも、自分は「いいことしたね」と夫に寄りそうような妻でありたい…とこの物語を読んで思い、その気持ちがこころの奥に焼き付けられていまがあるのかも、と思いました。

それを思うとやっぱり、絵本って、お話ってだいじだと思うのです。


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