見出し画像

可愛がられなかったけど、大した問題ではなかった

家族の面倒くささを存分に味わって家に帰ってきた。
七泊八日の里帰り。 子供が小さかった頃は2週間くらいは帰っていたから、これでもだいぶ短くなった。イタリアンが続いて胃が重い。

画像1

大学に行ったり仕事を始めたばかりの頃。自分より得をしてるように人ばかりが目に入った。有名人が何歳で何をしたみたいな本を読んで悶々としていたのも、多分この時期。 嫉妬ですよ、奥さん、嫉妬。

働き始めたら女子力とか気配りみたいなのが重要視される職場にぞっとしつつも、自己啓発本を読んだ。年長者に可愛がられる方法を探してみたりもしたし。全くうまくいかなかったけど。

向き不向きがある。女子力、気配りの世界は向いてなかった。世界は広いから自分にあう場所があるっしょ。と、思ってたら、今ここにいる。

選ぶ職種とか職場が自分に合ってなかっただけだと、今ならわかるんだけど。世界が狭かったーですね。ツイッターでもなんでも情報収拾って本当に大事。時代もあっただろうし。

でも、正直に言えば可愛がられたかった。かわいい子ポジション の人にめっちゃくちゃ嫉妬した。飲みにいつも誘われるかわいい後輩キャラ男子が羨ましかった。

おじさん達は最後は男子を選ぶんだろうなーっていうてガラスの天井感には、可愛さにも器用さにも欠ける女子としてはやる気をなくした。(これは美術大学時代もすごくあった。『最後までやるのは結局男子だよね。女子は遊びでしょ。結婚して趣味でやれるからいいじゃん』的なの、くどいほど言われた。今は違うといいんですけど・・ま、先生全部男だったらそうもなるよね。)

まあいいや。って今は思う。可愛がられなくてラッキーだったかもとすら思う。

今はすごく楽しいから。長い目でみたら、中途半端に会社の年長者とか、女の子に優しいおじさんに可愛がられてうふふとなってなくてよかった。その時可愛がられても、ほんとに意味ない。

フリーのおばさんの今のほうがずっと楽しい。仕事はまぁ好きだし。何より自分のことが楽しい。

画像2

キラキラした成功談のあふれるSNSにどうしていつも失敗談を書くのだろう。セルフブランディング的(使ってみたかった言葉①)にマイナスしかないな・とか最近考えていたんだけど、この記事を読んだ。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53989


「わたしは、書いているときは、ニューヨークじゃなくて、カンザスのちょっと東のあたりの地域を、漠然と心のなかで目標にしています。そこの図書館の棚に置かれるような本を書きたい、と。カバーははずされ、もう何年も前からあって、田舎の十代の子によって見つけられ、その子にむかって語りかける、そういう本です。書評にとりあげられるとか、ブレンターノ書店に平積みされるとか、そういうことは乗り越えなくちゃいけないハードルではありますが、でも、それもいま言ったような棚に置かれるためです」(青山南編訳『作家はどうやって小説を書くのか、たっぷり聞いてみよう! パリ・レヴュー・インタビュー2』岩波書店より)

キラキラしてない毎日のサンプルとして誰かに届けばいい。

いいなと思ったら応援しよう!

ワダシノブ/イラスト・マンガ
Twitterもフォローしてください!https://twitter.com/shinoburun