嫉妬が流行ってないですか?
私たちの不幸は他人と自分を切り離せないことから始まる。愛着っていうのは煩悩の一つらしいし。
「私は不幸、でもあの人は幸せ。が、幸せそうなあの人も本当は不幸。そして実はお互いに相手を羨ましく思っている。嫉妬もする。そしてさらに不幸になる。」みたいなお話が最近多すぎないだろうか?。
相手への勝手な羨望そして嫉妬。小さな差をこれでもか!と取り上げて騒ぐ。自分以外のことを気にしすぎ。
全ての人は違う。これって日本にいるととても感じにくい。みんな同じだよね!という空気とこうあるべき姿の氾濫。もっと美しく、もっと歳 相応に、もっとなんとかであるべき私 と 美しくない現実。
元が違うんだから、どうしようもないことはどうしようもないというのは、イタリアに来てからストンと腑に落ちた。だって、スタート地点の違いがあまりにも大きいから。
ここではいろんな意味で人は異なる。見た目も国籍も収入も学歴も。絶対に埋められない差があるのがすぐにわかるからだ。例えば私は白人の白い肌はなれない。
親から相続した不動産で給料が無くてもバカンス毎に豪遊できる収入がある人。2部屋しかない家で家族+親戚と大人数で暮らす人。難民として数十人で辿りつくボートとその横の4階建てのクルーザー。
貧富の差・育った環境の差が大きすぎる。
年齢についても、若さを尊ぶ感じがあまりない。というか、若くないということは個人的には感じるけど、外からわざわざ「年寄り!」と言われることもあまりない。
40代50代になってもragazzi(若者)と呼んだり呼ばれたりに慣れると、日本に帰って25過ぎたらBBAですから…みたいなのをいってるのを聞くとぞっとする。
何歳でも好きなことを やりたいことをやればいい。好きな服だって着ればいいし、それを恥ずかしく感じさせれられる(感じる)必要もない。男性でも女性でも同じだ。
(ついで。ここにいるとアジア人は二割り増しで若く見える。けど、若く見えることで得することは無い。若くても理由がなければ、チヤホヤされない。すごい美人、なんかメリットがある、お金持ってる(太い客認定される)というのがなければチヤホヤはされない。道でナンパするイタリア人いまどきそんなにいないですよ。)
で、タイトルに戻りますが。みんながみんなを羨ましく思い、そうなれない自分に劣等感を持つ、相手に嫉妬する。というのを煽る物語が流行しているけど、それに乗ると大変だ。
自分の見えるところでのみで、誰かを判断するのは危険だ。見えないところにこそあなたと私の差が生まれ理由があるのだから。
もともとお金持ちの子なのかもしれない。陰で努力しているのかもしれない。寝る前にスクワット50回してるかもしれない。見えるところだけ追って嫉妬するのは本当にムダだ。
子どもがいる人・結婚しない人・セレブとか勝手に虚像を作って煽るメディアとか本当に怖いなと思う。100人いたら100通りの生き方があるんだし。誰かを羨んでもんもんとするより、部屋の掃除でもしたほうがずっといい。
子どもの頃 散々言われたように「ヨソはヨソ。うちはうち。」それしかない。全ての要素が重なりあって今の自分がいるんだから。
もちろん「カールラガーフェルドの孫だったら今頃シャネルスーツ着放題だよな・・」とか思ったりしますけどね。
と、まとまりなく終わる。
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おわり