深夜ラジオリスナーとして、今こそウーマン村本のラジオが聞きたい
ウーマンラッシュアワー村本のラジオが好きだった。
思い返せば、開始直後からいつ終わってもおかしくないラジオだった。時事のニュースを喋り、近辺の芸人の悪口を言い、炎上を狙うような過激な発言も多かった。それらは実際にネットニュースに載り、頻繁に炎上もしていた。時にネットニュースの切り取り方に悪意を感じながら、SNSの荒れ方に疑問を抱きながら、彼の考えに歩調を合わせるようにラジオを聴き続けた。
彼のしゃべりの魅力は、何と言ってもあのテンポだ。ラジオでは中川パラダイスもいないから、彼のしゃべりはどんどん加速していく。早口で聞きにくく、耳馴染みのいい言葉も出てこない。彼のラジオに食らいつく二時間は、他のどのラジオでも経験したことのない緊張感があった。音楽もリスナーからのお便りもない、ただただ村本の喋りを聞いているだけの二時間。CM中にふと我に返って、これは宗教に近いものがあるかもしれないと考えることもあった。彼のしゃべりには危うさがあって、一言一句たりとも聞き逃せなかった。あの頃のリスナーは、誰一人として、ながら聞きをしていなかったと確信を持って言える。それぐらい集中力の必要なラジオで、圧倒的な面白さがあった。
当時、テレビで振る舞う時の彼は、いつも話のオチに矮小な自分自身の存在を出していた。勉強もスポーツもできず、水産高校ではいじめにあって中退。キャラクターのせいで芸人仲間からも嫌われ、SNSでもネットニュースでもいつも炎上する。誰々に悪口を言われ、ネットでこんな悪口を書かれた。彼が喋る彼自身には、いつも不安と自信のなさが見えていた。他人に突っかかり、攻撃し、その反撃に怯えてみせる。弱いくせに卑怯で、誰からも嫌われるやつ、というのが大体の世間の評価だろう。彼なりのテレビでの戦い方だと理解していたけれど、もっとラジオのように喋らせてくれればその魅力が伝わるのに、と歯がゆく思うこともあった。
彼はラジオで伝えたいテーマに触れる時、話のオチを気にせず喋り続けた。そこには彼なりの哲学があり、いつも一本筋の通ったものがあった。
彼の哲学を一言で言うなら、「弱者への共感と寄り添い」だったと思う。
彼は常に弱者の視点に立っていた。原発問題、沖縄の基地問題、いじめ、在日朝鮮人、ホームレス、身体障害者など彼が取り上げる問題は、どれも耳馴染みの悪い言葉ばかりだった。できれば聴きたくない、できればこの問題に直面したくないと思っていた。私たちはこれらの問題に対して第三者でいようとしつづけてきた。社会のどこかで誰かが傷ついている、それは昔から続いてきたことで、私には関係のないことだと思いたかった。
ラジオでは村本がこのままではいけないと思っている問題の提起と、それに対する自分なりのアクションを喋ってくれた。こういうことを疑問に思い、知り合いの詳しい人に話を聞き、さらに現地に赴いて、その問題に直面した人に話を聞く。その経験を経て、自分なりの考えを深める。そして自分でもできることがあれば行動に移し、そこにある問題を、自分にも関係のある問題として関わっていく。その経緯をあますところなく、二時間を目一杯に語り尽くす。毎週毎週燃え切るように喋り散らして、でもまた翌週には膨大な喋りたいことを持ってくる。
村本の喋りをきっかけに知った問題もあるし、それに追随するように自分なりに調べ、行動したこともある。どれも彼のラジオがなければ、知らない問題でしかなかったものばかりだ。
彼のラジオが終わって、もう何年も経つ。その間にたくさんの問題が起きた。それらの問題のほとんどは、自分の生活とは離れたところにある問題だった。けれど、あの頃村本のラジオのリスナーだった私は、いくつかの問題を第三者としてでなく、当事者として考え続けた。遠い異国の物語ではなく、自分も小さな当事者であると考えて行動した。
それは、彼から感じる「弱者への共感と寄り添い」と言う哲学に触れたおかげだ。その哲学からはたくさんの知識と経験を得た。
けれど、今の社会にはまだまだ分からないことが多い。最近のニュースも辛いものが多くてげんなりする。
深夜ラジオリスナーとして、今こそウーマンラッシュアワー村本のラジオが聞きたい。あの、止まらない二時間の喋りを、布団にくるまってじっくりと聞きたい。
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