『宝石の国』考察(後編)
いよいよ後編です。
前編と中編のリンクも貼っておきますので、未読の方はどうぞ。
記事本編に入る前に、まず本作が12年間の連載を終えて完結したことを記さねばなりません。市川先生、お疲れさまでした。
「予定通り終わることができてよかった」というコメントそのままに、実にぴったり百八話での完結、物語としても美しくまとまって終われたことが素晴らしいと思います。
では、書いていきます。
深刻化する宝石たちの対立
物語の流れとしては、月に渡った宝石たちと地上に残った宝石たちの対立構造が深刻化します。月人側にいて金剛の破壊(=皆の救済)を画策するフォスとそれについていく数名がおり、その他の宝石は地上に残ってフォスの「金剛壊すべし」という行動に対処します。その中で、比較的穏当な立場にいるユークレースがリーダーのような立場になっていきます。
人間の集団がそうであるように、同じ派に属していたとしても何もかも意見が同じということはありません。「月人側」においてもフォスとパパラチア、イエローダイヤモンドの意見はそれぞれ微妙に違います。
特に宝石たちには金剛への親愛の情が前提としてプログラムされているので、「金剛を壊す」というフォスのことを受け容れることができません。
地上へ赴き、宝石たちへの説得を試みるフォスですが、まったく上手くいかないばかりか、お互いに余裕が消えて対立がいよいよ明らかになります。余裕が消えるとは、目的完遂のために相手の感情を顧みなくなることです。説得できない相手は「邪魔者」となり、攻撃の対象となってしまうのです。
この作品ではセリフで主題がかなり具体的に語られるので、対立点も明確にされます。
なぜフォスは「目的」に執着したのか
月に行く前からフォスは決して人望のあったタイプではありません。むしろ集団に上手く馴染めないところがありましたし、仕事ができないという点以外においても、どこか不安定で、自分の収まりどころが見つけられないという感じです。自己評価が低く、思ったことはズケズケと言うので、誰からも好かれていたわけではないでしょう。フォスの主張が宝石たちになかなか受け容れられないのはそんなところにも理由であるのではないかと思います。
フォスの「目的」への執着は非常に強いものです。例え「月人はただのインベーダーではない」「月人と宝石とアドミラビリス族は元は人間という一つの存在だった」「金剛は祈りのための機械だった」といった「真実」を知ったとして、あそこまで自らの姿を変えてまで目的を遂行しようとするだろうか?と思わせるほどです。
なぜフォスは目的に執着するのでしょうか?そこで考えられるのが「フォスは元の世界において居場所を得られている実感がなかった」という仮説です。地上の宝石たちは比較的に現状維持で満足しているように思えます。月人という「外敵の存在」がいて、金剛とのつながりを薄々感じていたとしても、それをすべて行動により明らかにして状況を変えようとまでは思わないわけです。
それを行なったのが、落ちこぼれでありちょっとした異端児であるフォスであるというところに物語的必然性があります。現状に満足しているわけではない、他者との関係性も良好とは言えない、パンドラの箱を開ける必要に迫られたものがパンドラの箱を開けるのだということです。
エクメアが明かす重要な真実
「中編」の最後で、「フォスの選択は正しかったのか?」と書きました。正しかったのかと人が問う場合、2種類のニュアンスが存在します。1つは是非についてのことであり、もう一つは程度問題のことを指しています。つまりここでいう疑問とは、フォスの判断は妥当だったのか?と、フォスはやりすぎではなかったか?の二つです。
結論から言えば、フォスはしくじったのです。本人の意図、理想としては「皆を説得して理解してもらい、皆を救う」だったはずですが、説得という「やり方」は上手くいかず、「皆を救う(安心して生活する)」という判断も誤りだったことがわかります。その理由は、第八十話におけるエクメアの告白です。
この告白は大きな転換だと思います。フォスの望みがすべて瓦解する真実だからです。
「無へ向かう」ことは生きることに飽いた月人の悲願かもしれませんが、宝石たちの望みではなかったはずです。エクメアはフォスには本当のことを言わず、自分の都合の良いようにフォスを誘導しています。そういう意味ではフォスのここまでの行動はエクメアの手の平の上で踊っていたようなものです。利用された、と言ってもいいかもしれません。エクメアは狡猾な大人であり、フォスはナイーヴな子どもです。
フォスの望み通りに金剛を祈らせることに成功すれば、月人のみならず「同じ人間からの派生」である宝石たちも一斉に「無」に向かう。それを知らされていたらフォスの一連の行動はなかったはずです。なので、この告白はすべてを根底からひっくり返すものです。
フォスと仲間との戦い
この流れでフォスはかつての仲間たちと意見を対立させ、物理的に戦うこととなります。戦うといっても硬度も三半と脆く、昔だったら皆の足元にも及ばなかったであろうフォスですが、前述のとおり脚や手や頭が「強化」されたことで、相当な攻撃力を持つようになっています。その力が仲間へと向かう武器になるという皮肉です。
そしてフォスは戦いながら話し合いを試みます。この時点ではまだ話し合いの余地があるのです。ですが、フォスの言葉は受け入れられません。フォスのいうことは真実かもしれませんが、皆にとっては不快です。例えばこのボルツの「月人の言うことなど信じられん」というセリフはフォスから見れば「わからず屋」ですが、エクメアの告白を思うと結果的に正しいことになります。これもまた皮肉です。
この後フォスはボルツに「合理性がある!」と言いますが、ボルツは「信じたいだけだ。弱かったお前は変わりたいだけだ」と返します。フォス視点で見てきた読者としては「一人だけ真実を知ったフォスと、未知ゆえに理解できない仲間」という構図のように受け取れますが、エクメアの告白という補助線を踏まえると、フォスは「騙されている」ような立場となり、その主張は空虚で切ないものがあります。
清く正しい本当が周りを傷つける
「清く正しい本当が、辺り一面を傷つけ、全く予想外に変貌させるかもしれない」というパパラチアのセリフがありますが、フォスの行動はまさにこういうことです。しかも、ここでいう「本当」は絶対的なものではありません。「正しいこと」というのは相対的なものでしかないのです。
長くなってきたので少しスピードを早めます。
「仲間を雑に扱う」フォスは、仲間であった地上の宝石たちからだんだんと敵視されるようになります。何度目かの地上への訪問の時、フォスは宝石たちから一斉に攻撃されてバラバラにされ、地面に埋められます。もはや仲間への扱いではありません。そして220年の時が流れます。金剛はフォスを掘り出し「皆があなたを忘れるまで220年かかった」と言います。宝石たちもフォスのことを忘れてしまうほどの長い時間です。金剛に組み立てられたフォスは復活し「どうかもう一度祈ってくださいませんか、僕の為に」と言いますが、結局祈りは成功しません。この頃になると、もうフォスの造形は原型を留めないものとなります。
そして全面戦争へ
しかしもう一度宝石たちに壊され、バラバラになったフォスは月へと連れ返されます。ここからのフォスは自分の邪魔をする宝石たちを破壊することを望みとします。月で平和に暮らしていた、かつて自分が月へと連れて行った宝石たちを引き連れて、地上へと全面攻撃を仕掛けるフォス。その容姿と相まって、もはや恐ろしささえ感じさせます。
初期から比べると何度もその容貌を変化させてきたフォスですが、この段階になると首の後ろに独特の形状の、仏像の「光背」に似た飾りができています。
フォス率いる「月の宝石軍」は大隊を組んで地上へと降り立ちます。各所では因縁の対決が始まります。ダイヤモンドとボルツ、かつての仲間たちを砕きまくるアレキサンドライト。そしてフォスは金剛へと向かう道すがらで、立ち塞がる数名と1対1の決闘を行います。
ユークレース、ジェード、そしてシンシャです。
ユークレースは武器を放棄し戦う姿勢を見せず、対話を望む言葉を発しますがフォスはそれを一蹴します。
ジェードは靱性(割れにくさ)一級を誇りますがフォスはジェードを破ります。「お前のことをわかってやれなくてすまない」とジェードは言います(ちなみにジェードとは翡翠のことです)。
皮肉な形で叶えられたシンシャとの約束
最後に親友であったシンシャと対峙したフォスですが、戦いの末にシンシャの毒液(水銀)に塗れながらもシンシャを破壊します。最後にシンシャは「お前のおかげでみんなと仲良くできた」「楽しかった」「ありがとう、約束を…」と言い残します。シンシャは毒を持つ体質ゆえに仲間と交われない孤独な存在で、誰とも協働できませんでした。連載第二話でそんなシンシャにフォスは約束をしていました。
結局、この約束は非常に皮肉な形で叶えられることになります。月から「襲来」するフォスを撃退することで、シンシャは仲間たちの中に居場所を得るのです。「人は共通の敵を前にしたときにもっとも強く結束する」という法則の通りです。なのでシンシャの最後の言葉は「ありがとう、約束を(守ってくれて)」だと言われています。
ですが、フォスは「約束ってなんだろう」とうろ覚えです。フォスは度重なる身体の入れ替えに見舞われているので、それに合わせて記憶が失われるのは仕方がないのですが、二人の思いの非対称性が切ないシーンです。
また、最後の言葉といっても、前編で書いたようにこの物語における宝石には人間のような「死」の概念がありません。砕け散っても破片が失われない限りは復活します。なので、ここでフォスに敗れた宝石たちも、後ほど月に渡って平穏な暮らしを享受することになります。
改稿された「フォス自身の幻影」とタンポポの種
なんということでしょう。3部構成のはずが長くなり過ぎてしまい、書ききれなくなりました。それほどこの物語は情報量が濃密で多いのです。
ということでもう1エントリ「完結編」として追加することとします(なんだか入稿データファイル名のネタのようです)。
このエントリのまとめとして、最後にフォスが金剛に会う直前のシーンについて言及します。
アフタヌーン本誌の掲載版では、ここでフォスは「(シンシャの言う)約束ってなんだろう」と呟きながら暗闇を歩き、そこで誰かが後ろから走って追い越していくのを見ます。「誰だろう、かわいいね」と呟きますが、これはかつてのフォス、無邪気だった頃の自分の姿です。
[本誌掲載版]
しかし、単行本収録時にはこの幻影のシーンはなくなり、フォスが右手に持っていた綿毛のついたタンポポの種が指からするりと落ちてそれをフォス自身が踏んでしまう、というシーンになっています。セリフは「何か思い出せそうだったのに」です。
[単行本収録版]
タンポポの種で思い出すのは、第一話の冒頭のシーンです。フォスは「先生が呼んでる」と言われて、野っ原に寝ていたところをウキウキと駆けつけます。そのとき頭の上についていたタンポポの種を金剛先生に「フゥ」と息を吹きかけられ、飛ばされます。何気ないシーンですが、およそ100話あとにこの演出は回収されることになります。
ここから先のストーリーを簡単に記します。金剛の祈りはまたも発動せず、そのためフォスが金剛を破壊し、金剛の右目の眼球を手に入れます。そこにエクメアが現れて右目を渡せと促しますが、フォスは自らの右目にそれを嵌め込みます。それによって必要なパーツが揃い(この「七宝」の件は完結編で言及します)、フォスは金剛の代わりに祈りの役目を引き受けることになるのです。
本当に、終盤の情報量も半端ないです。作品の熱量が高くて緻密だと、考察する方もこんなに大変なのかという思いを新たにしています。
また、個々のキャラクター同士の関係や相剋についても書いてみたいところですが、そういった考察は検索してみると大変多く、気が向いたらということにしようかと思います(わりかし普通に気が向く可能性もありますが)。
というわけで、まさかの「完結編」に続きます。