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20220525 アルバイト・ヒストリーNo.2

その1からの続き。

ヒーローショウの着ぐるみ

僕がその頃通っていた専門学校の同級生にHがいた。彼とは家も近い事もあったが、来るものを拒まない独特の空気を持っており、僕はそのうちにHの家に入り浸って遊ぶことが多くなった。Hは高校時代の同級生Iと家賃を折半して2DKの部屋に住んでおり、その広さが僕を気軽に遊びに行かせる後押しとなった。ある日、Hがアルバイト情報誌で面白そうなバイトを見つけてきた。それはヒーローショウの着ぐるみに入るというもので、バイト料は非常に安かったが、その内容に我々は魅きつけられた。その仕事について詳しくは「風の歌を聴け」というエントリに書いた。ここは給料については絶望的だったが何しろ仕事内容が気楽だったのと、同じような思惑の同年代の男女が集まってきていたのが魅力だった。

日雇い警備

もう一つ、友人のHと一緒にやったのは警備員のバイトだった。警備会社に制服や帽子を借りて、その都度指示された現場におもむき、およそ8時間ほど、交通整理をしたり車の誘導をするのだった。大きな現場で複数人で警備する時は別だが、基本的には誰とも話すことのない孤独なバイトだった。僕は見回りを装ってブラブラとあたりを徘徊しながら、当時の流行り歌をきちんと2番まで(心の中で)歌ったり、各プロ野球チームの選手名を背番号順に思い出したりして時間をつぶした。このバイトの良いところは週単位でバイト料を支払ってくれるところであり、それ以外に特に魅力を感じるわけではなかった。仙台近郊の菅生サーキットや、もう少し小さめのサーキットにも行った。これは「真夜中のレース。」というエントリに書いた。それ以外はもっと仙台駅周辺の、何の変哲もない工事現場が多かった。

カラオケパブ

仙台には国分町という繁華街がある。博多で言えば中州だし、新宿で言えば歌舞伎町ということになるだろうか。ともかく唯一の繁華街が国分町なのだった。僕は飲み屋のバイトを探していた。それは寒くなる時期の屋外のバイトがきつかったからだし、おおむね食事つきという条件なのもありがたかったからだ。別に酔客を相手にしたかったわけではないが、なんとなくゆるそうなルーズな雰囲気の中で働ける場がいい、そんな後ろ向きな理由もあったに違いなかった。そんなわけで僕は「パイナップルアイランド」という、雑居ビルの中にある小さなカラオケパブのような飲み屋で、卒業までの数ヶ月をアルバイト店員として過ごした。「パイナップルアイランド」はホールとか厨房とか、そんな分担はまったく必要がないほどの本当に小さな店で、14、5人も入れば店はもう立錐の余地はなかったと思う。僕は厨房でマニュアル通りにピザを焼いたり、冷凍のたこ焼きの盛りつけをして客に出したりしていた。そんな小さな店なのでバイトは2人も入ればいっぱいだったが、同時期に務めていた女性のアルバイトが何人かいて、客のいない暇な夜などはダラダラと来し方行く末などを話した。僕は当時19歳で、相手も同じくらいの年齢だった。ある時、近くの大学の打ち上げと思われる団体がやってきて、歌いまくりで騒ぎまくりの夜があった。厨房に入っていた僕もいつの間にかその輪の中に入り、夜がすっかりふける頃には一緒のテーブルでカラオケを歌っていた。「ザ・学生」という感じがして、あれは面白かった。


僕の仙台時代はこうして、バイトに明け暮れながら過ぎていった。もちろんこれが全てではない。他にもいくつかやった気がする。だがまあ、ざっとこんな感じである。

そして僕はこの数ヶ月後、友人の借りてくれたハイエースのレンタカーに荷物を満載し、引越しのために真夜中の高速を東京へと向かうことになる。

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ニンパイ
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