感情論
人に与えられた状況というのはランクづけできない。
状況の受け取り方は人それぞれだからだ。
状況の受け取り方というのは、その時にどのような感情であったか、だ。
例えば、それほど酷いことが起こっていない人がものすごく塞ぎ込んでいたり、
自分だったら心が折れるかもという事態に陥っている人が明るく振る舞ったり。
前者を私たちは「弱い」と感じ、後者を「強い」と感じたりする。
でも人の本当のところはわからない。
その人が置かれている状態すべてを、他人の私たちは知ることができない。
だから軽々しく他人に口出しすべきじゃない、というわきまえが必要になる。
薄っぺらい理解で他人のことをわかったように踏み込むべきじゃない。
明るい人はただのバカである可能性もあるが、それもまた悪くない。
そして明るい人は「不屈の人」である可能性の方が、バカよりもっと高い。
状況に負けずに前を向こう、自分らしくあろうとしているのだ。
自分の態度をキープすることにエネルギーを使っている。
それは尊いことだと思う。
ひるがえって、暗い人は一般に内省的であるとされる。
周りに対する態度よりも、自分自身の認識や思考にフォーカスして、
深くダイブしている。ダイブした分、外界との距離はどうしてもできる。
暗い人はただの自分勝手である可能性もある。
だが、人間は言葉ほどステレオタイプではないので、
複雑な要素がいくつも混じり合ってるし、時々で変化する。
そうなのだ。
感情というのは川の水のように変化する。
水が気温によってその熱くも冷たくもなるように、
不純物を流されると汚れてしまうように、
時間が経つとまた綺麗な水に戻ることができるように、
生きている間は流れ続ける。
絶えずしてしかももとの水にあらず、である。
…と、長くなってしまった。
状況が悪くても「明るい人」っていいよね、
明るくあろうとすればできるものだし、
それは状況の良し悪しとはシンクロしないよね、
ということを書こうとしたら思わず話が抽象的な方に行ってしまった。
文というのは簡単に書こうと思えば書けてしまう。
もちろん長いものは長いゆえの解像度がある。
140文字程度にまとめた短い文は解像度がその分低くなる。
だがダイジェストのように読みやすい。
重いデータは通信に時間がかかる。そういうことだ。
ちょっと脱線してもう1エントリ書けてしまいそうなので、
今日はこの辺で。