「ディティデペンデ(Depende de ti: あなた次第で)」に寄せて 三宅敦大(キュレーター・HB.共同代表
2020年12月4日「ディティデペンデ(Depende de ti: あなた次第で)」に寄せて
「Depende de nosotros」(わたしたち次第で)
2020年11月28日―12月13日、3331アーツ千代田内にあるBambinart Galleryにて、花沢忍個展「ディティデペンデ(Depende de ti: あなた次第で)」が開催された。
花沢はこれまで絵画を中心に制作してきたが、《えみちゃん》(2014)の展示風景や、HB.Nezuで行われたマルチメディア・プロジェクト《Eclipse》(2019)における展示、同年の中之条ビエンナーレにおけるパフォーマー阿部真理亜とのユニット「No border」での展示においては、いわゆる絵画が行儀よく壁に並んでいるようなものではなく、それぞれの空間に合わせて、絵画やサウンド、時には映像やファウンドオブジェクトなどを交えたインスタレーションを通して自身の作品や世界観を発表してきた。
今回の展示会場であるBambinart Galleryは、3331アーツ千代田内に位置している。アーツ千代田が元中学校であった建物をそのままアートスペースとして活用しているため、天井や、床には当時の意匠が残っているが、基本的には三方を白壁に囲まれた、20平米ほどのいわゆるホワイトキューブ空間である。本展は、壁面に絵画を同じ高さで展示していくようなシンプルな構成の中で、隣り合う作品同士の関係性を通して作家の世界観を見せるようなものであった。絵画のみに自然と焦点が集まる空間で、純粋に花沢の絵画と対面する貴重な機会でもあった。
作家である花沢とは、2015年に、当時作家と私の両者が在籍をしていた多摩美術大学にて共通の知人の紹介で挨拶をしてからの仲である。
初めてみた花沢の作品《えみちゃん》(2014)は、キャンバス全体にさまざまな色の絵具が置かれるような形で花や植物、ゴースト、あるいは天使のような人物たちが描かれていた。これらのモチーフは死や、死後の世界を想起させるが、花々の色彩の鮮やかさや、人物像の恍惚的な表情や雰囲気は、生者から死者への祈りや弔いといった慈しみの表象としての性質が強いと言える。
≪えみちゃん 2014≫
それらは写実的なものではなく、夢の中のように曖昧で、非現実的な世界である。動物も、人も、ほとんどが真っ白で、みなどことなく同じような表情をしている。モチーフの前後関係で、なんとなく絵画の中に空間があることは把握できるが、その空間も具体的なパースペクティブを持たず、漠としている。
こうした花沢の絵画の傾向は現実からの逃避的な側面を見せるとともに、死やそこにいない人たちへの想い、祈りという実態の掴めないものに対する、作家自身にとってのリアリティを顕在化させる行為でもあると言えるだろう。
当時花沢がこうした作品を描いていたことは、「知人の死」という花沢の私的な経験と密接に結びついている。それは、彼女が2016年に「第19回岡本太郎現代芸術賞展」で発表したテキストや、今回発売をした画集に掲載のテキストからも窺える。
その後少し間をあけて開催された個展、「まわる世界」(2018)や、「うつくしい距離」(2019)では、浜辺や草原と遠くの山々というような場所が登場し、人物や動物を含め、画面全体が色面で覆われるようになった。単にカラフルになったのではなく、“明るい絵”へと変化していた。この頃、花沢にとって幸福な出会いがあり、それが彼女の日常と作品とに彩を与えていたのだろう。また、これまでの花沢の絵画は、多様なモチーフと物質としての絵具の集合体であったが、この頃から「面」という概念が彼女の作品には登場するようになり、彼女の作品におけるマチエールが強調された物質的な強度を損なうことを助長した。しかし、これは花沢の作品が新しい段階へと変化する予兆でもあったのだろうとも言える。
≪冬の夜 2018≫
2018年に柔らかく、アンビエントな雰囲気へと移行したかに見えた花沢の絵画は、その後開催された個展「うつくしい距離」(2019年)、そして本展、と時間を経るにつれ、作品としての強度をましてきている。
「うつくしい距離」展では、以前の花沢の絵画にしばしば見られた霊的な存在が再び登場し、かつての花沢の作品の特徴的なモチーフが、新しい描き方に馴染んできている様がうかがえる。また、複数の人物が登場する絵画において、人物がある部分は遠近感を維持しながら、別の部分ではそれを意図的に崩していくことで、複雑な絵画空間を構成しはじめていた。
≪風をあつめて 2019≫
≪愛の一日 2019≫
本展「ディティデペンデ(Depende de ti: あなた次第で)」では、11点の作品が展示されており、それらはより自然な形で、花沢が長年にわたり発表し続けてきた私的な世界観と、新たな表現方法の共存を見てとることができた。ただし、モチーフにはいくらか変化があった。
2019年に観た作品は、青く澄んだ海とビーチや空、白い空間の中にたたずむ大きな木と女性など、昼間の光に包まれるような印象が強かった。しかし、今回の展覧会には、そういったものに加え、夜の風景を中心とした絵画や、星座のように夜を想起させるモチーフが多く現れていた。
また、これまでの彼女の作品に登場する人間は、基本的にはアジア系の印象があったが、今回は黒人が多く作品に登場していた。「最近黒人の映画をたくさんみたからだ」と本人はいう。何をみたのかと尋ねると、「ドリーム」(2016)や、「ムーンライト」(2016)など、ということだった。特に「ムーンライト」を何回もみたらしい。少し前まで、穏やかな昼の印象が強かった彼女の作品の中に、美しい夜があり、多くの黒人が現れたのはおそらくこの映画たちの影響であろう。
そういった作品の中で、1点《あのときのサルサ》(2020)は、複雑な絵画空間の実現をさらに発展させていたように思う。この作品には、多様なモチーフの共存に加えて、それらが複雑に画面上で関係を作ることで、一様には捉えられない空間が、画面に広がりを与えている。例えば、画面下部のマンドリンを弾く女性を中心に着目するなら、後ろにもう一人の人物がいて、手前には草があるという状況だろう。続いて、画面上部の人物を中心とし、その周辺の描写に着目すると、一つの部屋の中で、オランピアのようなポーズで横たわる人物と、窓の外の3人の黒人たちというイメージを見ることができる。まず、この2つの要素をレイヤーに分けて捉えるならば、前者が前景、後者が後景を成している。しかし、この関係において一番奥にあるはずの黒人的なモチーフは、横たわる人物よりも最前面にいる人物たちとの親和性が強く、空間を超越している。
加えて、ラフに線で描かれた動物たちや月と鰻、チェリーなどは、先述した2つのレイヤーからは独立した新たなレイヤーのようにも感じられるが、チェリーは横たわる人物の陰部との関連性を思わせ、月はマンドリンを弾き唄う黒人たちの頭上で輝いているようにも見える。そのため、このラフなドローイング部分もまた、空間の前後関係を曖昧にしているのである。
こうした要素が絡み合う複雑な絵画空間の中で、私たちはこの絵画のどこに焦点を合わせて良いのか、空間のどこに帰結すればよいのかわからず、キャンバス上を彷徨うのである。
≪あの時のサルサ 2020≫
これまでの彼女の絵画を振り返ると、色彩の力強さや、ある種のユートピア的な表象による心地よさに加えて、作家本人のパーソナルな感覚・経験をそのまま反映した「直接的な生々しさ」に溢れていることが特徴であった。そのため、これまで絵画の中の空間的な面白さや複雑性は注視されてこなかったように思う。今回の作品は、これまでの「彼女らしい」要素を内包しているが、いい意味でそれらが主張しておらず、それよりも興味深い空間性が私たちの視線を絵画の持つ異空間へと誘うのだ。
様々なモチーフを自由に解釈し、自由に描き、画面上に自由に配置する中で独自の世界を展開する花沢の作品と、変化を受け入れつつ、自身の味を大切し守っていくような彼女のスタンスは、この世界もまた私たちの認識次第でどのようにでも解釈、再構成が可能なのだということを教えてくれる。
今回の展示を経て、《あのときのサルサ》(2020)という作品に出会えたこと、そして花沢忍という作家と同時代に生き、作品の変化を近くで感じることができたことを、改めて心から嬉しく思う。
三宅敦大 2020.12.30