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【手作り法要】初めて自分の読経で、友を送る。

今回は、会社員として働きながら、お坊さんでもある秦さんにお話を伺いまいた。秦さんは、高校大学と仲の良かったご友人を亡くされ、友人たち自身で初七日を開催したそうです。

みんなのビックダディのような存在でした。

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僕と大石(亡くされた友人)との関係は、一言で言えば「腐れ縁」ですかね。
直接出会ったのは高校の時。
彼のお母さんが僕の中学の社会の先生だったので、
その時から彼の存在は知っていました。

高校で出会い、そういう縁もあって自然と仲良くなり、
なんとなく大学に入ってからは、同じ大学ということもあり、ライバルのように感じるようになってきました。
多分、ふたりもとお互いがやっていることを意識しながら過ごしてきたと思います。

彼は、困ってる人がいたら脊髄反射で手を差し伸べられる男で、
そういう優しさの瞬発力というか、損得勘定をすっ飛ばして周りへの愛を示せるところは、どれだけ真似しようとしても自分が及ばないところなので嫉妬のような気持ちも感じていましたね。

大学に入ってからはそういう優しい大石にさらに磨きがかかり、
いつの間にかみんなのビックダディみたいになってました。

友人と共に企画した「手作り初七日法要」

大石のお葬式はコロナ禍だったこともあり家族と限られた友人だけでの開催でした。
けれど、友達が本当にたくさんいる大石だったので、お別れの場がないと気持ちの整理がつかない友人がたくさんいるだろうと思いました。
そこで、大石のご家族に許可を頂き自分たちで初七日の法要を開かせていただけることになりました。

といっても、葬儀場を借りたりするわけではなく、彼が暮らしていたシェアハウスで「自分たちで偲ぶ場を作ろう」「そのほうが彼も嬉しいはずだよ」ということになったので、その日に向けて準備で忙しくて、その期間は記憶がないくらいなのですが
当日の流れや招待文の作成、部屋の装飾や遺影の準備、骨壺や骨壺入れを自作するなど、
大石を慕う友人それぞれが自分にできることで自然と進めていたのを覚えています。

そして初七日当日、250人以上の方が訪れて、手をあわせました。
その人がどう生きたかは葬式でわかるといいますが、それがよくわかった葬式でしたね。

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気持ちに意味付けなんてしなくていいと思うようになった

初七日の準備を始めた時には、
「仕事も全部休んでこれだけに向き合わせてもらおう。初七日が終わったら、区切りがついて自分の気持ちも少しは前に進めるだろう」と思っていたんです。

けれど、終えてみると全くそんな気にはならず、
「寂しい」「全く区切りなどない」という気持ちが強く残っていました。
むしろ、「これで終わらせてしまうなんて寂しすぎる」と思って、会が終わった後に会を作り上げ「初七日に全力で向き合えば少しは次に進めるんじゃないか」と思ってただけに、なんの整理もつかなかったことに呆然とした感覚になりました。
会の後は、みんなでお酒を飲んだのですが、涙が止まらなくなってしまいました。


その後、しばらくの間は、気持ちを整理しようとして、「こういうふうに捉えよう」そと思っては、すぐにそれが覆る、
ということが何度も緩やかに続き、いつも気持ちが揺らいでいた感覚があります。
そんな初めて体験する自分の感情の揺らぎに直面して「自分の感情って、全然わからないものだな」と深く感じました。

けれど、その揺らぎを繰り返すなかで、次第に
「こういう意味があったんだ」「こう捉えよう」「これで区切りがつく」というような意味付けはしなくてもいいと思うようになりました。


「あいつに向き合っている」ということ自体に支えられてた

今になって改めて初七日の時のことを振り返ると、
初七日に向き合っていたこと自体が、表現があってるかわかりませんが、ある種の気の紛らわしだったのかもしれないと思います。

初七日に向けて準備している期間は、
「初七日を無事にやり遂げる」という大きなやるべき仕事があったので、そこに向かって集中して取り組んでいる間はゆっくりする間もなく、それが結果として感情が入り込んでくる隙間を作らないようにできていたので、ありがたいことだったなと思います。

それから、「あいつのためになれている」「あいつのことをやれている」というのが、
ある種、大石と繋がれている感じがして、また恩返しをしている気持ちにもなれて、
それをやってる間は、寂しくはありませんでした。。


今思うと、初七日という大義名分のもとに「あいつに向き合ってる」ということ自体が自分たちを支えてくれたように思います。


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友に向けてお経を読む

僕は坊主でもあるので、
高校の頃から大石には、半分冗談で「俺が死んだらお前がお経よんでくれよな」と言われていました。

正直、こんなに早く大石のお経を読むことにはなると思っていませんでした。
だけど、「大石にはしてもらってばかりで何にも返せていない」という想いがあったのでお経を読ませてもらえて、嬉しかったです。ほんの少しだけですが、恩返しができたかなと思います。

もう一つ、お経を読んで良かったと思ったのは、
初七日の準備を中心になってずっと気を張って頑張ってくれていた友人が、
お経をよんでる時間だけは涙を流してくれたことです。

やってみて感じましたが、葬式の準備って本当にずっと忙しくて、
なかなか落ち着いて手を合わせることもできなかったりします。
そういう状況でも、お経を読んでいる時間は、参列した人たちが等しく故人と向き合える時間になります。
小さな頃からお経を読んで来ましたが、こういう時間を作れることが、お坊さんの大切な役割の一つなのだなと実感する大切な経験になりました。

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