散文の森
散文詩をかき始めたのは、それが散文詩であることをまだ知らなかった十二歳のときだった。小学校の卒業文集に寄せた作文である。もちろん、僕以外の児童は、至ってふつうの作文をしていたので、僕ひとりだけが通常の文に似せて作った詩を出したのである。
そのころ、ちょうど国語の教科書には宮沢賢治の「やまなし」という作品が教材として掲載されていて、今で思えば、それにも少なからず影響を受けていた。教科書などではこの作品は「物語文(短編童話)」として取り上げられているが、なぜか僕の中では「詩的な印象」が強くて、その印象は未だに拭いきれずにいる。
しかし、考えても見れば、宮沢賢治は詩人でもあった。しかも口語自由詩(散文詩のカテゴリーに入るもの)も多く残している。短いフレーズで改行し、句読点などを使わず、比喩表現や繰り返しや倒置法などの修辞法を使って、各種の符号や空白スペースや改行などを使った空間的視覚的な効果も取り入れ、情景描写を効果的に行なった作品である。これは、見た目からも「普通の文章とは違いますよ。」というアピールを全面に押し出したような表現法と言える。僕たちの世代は、こういったスタイルが「口語自由詩」のお手本のようなものと教えられてきたわけである。
そういう意味では、この「やまなし」という作品は、宮沢賢治本人の中では「詩」と一線を画するものであったに違いない。詩的な表現や修辞法が随所に見られるものの、見た目には目立った詩のような表記法も使われていない。従って、誰もが言うように物語文なのであろう。このように、彼自身が「これは詩ではありませんよ。」という無言の提示法を使っていることからも「詩ではない」ということが明らかであり、それは疑う余地もないと言えるのだ。けれども、この後味の悪さは何だろう。納得しきれていない自分が僕の中にいるのである。
こうして僕は未だに散文の森の中を彷徨っている。はっきりとした方針が打ち出せず、日本の現代詩において「散文」を使って表現する詩とは何かをずっと模索し続けている。「散文」を追求すれば最早それは「詩」ではなくなり、「詩」の要素を盛り込もうとすればするほど「散文」から遠ざかっていく。これを解決するためには、見た目の表記でそれを訴えるぐらいしか方法はないのだろうか。おそらく、そうなのだろうけれども、僕はふつうの文体で、時々、詩のようなものを書いている。そして、題名の横に括弧を付けて「散文詩」と入れている。今のところ、こうすることも正当性はあると考えている。詩を書くほとんどの人からは、「それを書かなくても、分かるようにすることも大切だ。」とお叱りを受けそうだが、個々の価値観の多様性や自由な表現の形態が認められている現代において、必要に応じて但し書きすることは決して間違ってはいないだろう。要は、それを書いた自分と読む人との関係性の中で詩的空間を形成するための方法論の問題であり、そこに書かれた内容について言及しているわけではないからである。
ところで、話を最初に戻すが、十二歳にして僕が書いた散文詩とはどんなものだったのか?詩の詳しい内容については、もう忘れてしまったし、文集もつい最近処分してしまった。ただ、四百字詰めの原稿用紙二枚程度の長さの文章で、小学校に入学したばかりの時の一日の様子と卒業間際の一日の様子とを同じような流れで事実に即して綴ったものである。「ランドセル」「自分の体」「登校するときの他の児童とのやりとり」「教室」「出来るようになったこと」などなどを、ほぼ同じ文型にはめ込んで、その対比を浮き彫りにさせる手法をねらった詩である。そのときは、うまく書けたなと思ったのだが、長い年月を経て、読み直してみたら、我ながらなんともお粗末で思わず笑ってしまったものだった。そしてあとで、ふと、「今の自分よりも発想が柔軟で、内容はともかく、散文詩の手法としては間違っていないな。」とも思った。そして、その文集は処分してしまって今はもうない。同窓生がまだ捨てずに持っているか、あるいは学校関係の資料の中に残っていればだが、おそらくみんな僕同様に、既に処分してしまった人が多いかもしれない。いずれにしても、僕の散文詩の原点はここにあったのだと思っているし、創作のための拠り所の一つとなっていることも間違いない。