アニバーサリー作曲家を追う Vol.3 ジャック・オッフェンバック
2019年に記念年を迎える作曲家
3人目はVol.2で登場したスッペと同じく、今年で生誕200周年を迎えるジャック・オッフェンバック。
もしかすると名前だけは聞いたことがある、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
思い出してください。どこで、何の時に流れていて、この曲の作曲家はオッフェンバックであると知ったのか・・・
おそらく、この曲ではないですか?
そう、運動会のBGMとして今も全国各地で使用されている
「『天国と地獄』より序曲」です。
他の曲が思い浮かんだ方は、確実に私より博識です。恐れ入りました。
他にもCMソングとしても使われたことのあるこの曲、
実はオペレッタ「天国と地獄」のために作られた序曲なのです。
ちなみにこの天国と地獄は日本初演時の邦題で、
もともとは「地獄のオルフェ」(Orphée aux Enfers)というタイトルなんです。
そんな超有名曲を作ったオッフェンバックはどのような人だったのか?追っていきます。
1.作曲家 オッフェンバックの誕生
ジャック・オッフェンバック(1819-1880)はフランスの作曲家。本名 ヤーコプ・レヴィ・エーベルスト。
生まれはドイツですが後にフランスに帰化しており、基本的にはフランス人作曲家にカテゴライズされています。
誕生したのはプロイセン王国(現在のドイツとポーランドにまたがる領土を持つ)のラインケント州。
カントル(※1)でありヴァイオリニストでもあった父の元に生まれ、その手ほどきを受けてチェロを学ぶようになります。
14歳で父とともにパリに出た後は、なんとチェロ奏者として活動。しかもその活躍は目覚しく、別名「チェロのリスト」とまで呼ばれたそうです。
奏者として手腕を振るう傍ら、作曲も精力的に行うようになります。
1855年にはブフ・パリジャン座という劇場を開き、数々のオペレッタを上演。
美しいメロディーを次々に生み出すことから「シャンゼリゼのモーツァルト」(※2)とも評されていたと言われています。
その後は多くの劇場からの注文を受け作品を作ったり、指揮者として活動。フランスのみならずアメリカなどにも巡業するなどして、幅広く活動を展開しました。
2.音楽的影響と作品
前述の「地獄のオルフェ」は、運営していた劇場の赤字に悩まされていたオッフェンバックが、ヒット作を生み出さなければならないと考えて作った作品です。
それを皮切りとして数々のオペラやオペレッタを作るようになり、その名を欲しいままにしたところを見るとやはり彼の人生そのものが彼の作品に多大な影響をもたらしたのでは、と推測しています。
オッフェンバックの主なオペラ、オペレッタ作品は以下の通り。
3.楽曲
最後に、上記でご紹介した作品の序曲のうち3つを紹介します。
(作品名をクリックするとYouTubeに移行します。)
オッフェンバックの楽曲はどれも聴きやすい明るい曲が多いです。
加えてオペラやオペレッタもコメディと分類されるような楽しいものばかりなので、音楽のみならずこのような舞台作品の入門としても、とても良いかもしれません。
Shino's Studio
※1.キリスト教音楽の指導者。
※2.そう評したのはロッシーニ。こちらも運動会で有名なウィリアムテル序曲を作曲していて、共通点を感じます。
○参考文献○
Wikipedia オッフェンバック
Wikipedia 地獄のオルフェ
Wikipedia 美しきエレーヌ
Wikipedia 青ひげ(シャルルペロー)
フランスオペラの楽しみ
APPOLLONIA
音楽サロン
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