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3.11の記憶。そして今備えていること

2011年3月11日東日本大震災から13年が経ちました。
何年たってもあの日の事だけは詳細に覚えています。
マグニチュード9.0のあんなどでかい地震忘れたくても忘れられないものです。

私は当時仙台市に住んでいて、自宅でワイドショーみている最中に携帯の緊急地震速報と共に大きな揺れが起こりました。
いつもの地震ならおさまるのに、なかなかおさまらない。
テレビでみた地震体験の施設にある震度7くらいの揺れが本当に起きました。およそ2分から3分くらいは揺れがおさまらず、棚の物は落ちてくるし家具なども動いていましたし一人でオロオロするしかありませんでした。

最終的には、飼っていた仔犬を残しアパートの外へ逃げ出しました(後日、この行動は本当はいけないらしい)
揺れがおさまり部屋にもどってみると…ほんとうゴチャゴチャ。
停電してるし夫、実家(気仙沼市)、義母などに電話をするも繋がらない。
とにかく2歳の我が子を保育園に迎えに行かねばと、愛犬をのせ車を走らせたのでした。
我が子の安否が確認ができ、一安心。

ところが、車のラジオでことの甚大さを知ることになったのですが東北太平洋側沿岸に「大津波警報」が出されていたのです。
「地元が大変なことになりそうだ!!」
実家の母と連絡がつかず夕方になりやっと携帯電話がつながり、家族親戚の安否が確認できたのでした。ただ一人を除いて。
沿岸沿いに職場があったいとこの安否が確認できませんでした。

いとこは3週間後車の中で見つかり、自宅に戻ることはできました。
(沿岸部では最後まで見つからないままの人も多く、亡くなったとしても自宅に帰れるのはマシとされていました)

この日を境に生活は一変したのです。
電気、ガス、水道、全て止まってしまい、毎日キャンプをしているみたいな生活を1週間強いられました。
1週間はまだマシな方です。
都市ガスを使っている家庭は1ヶ月お湯が使えない生活でした。
お水は市の給水車に汲みにいく生活。
ご飯はガスコンロや石油ストーブを使ってお米を炊いたり、お湯を沸かしたり汁物を作りなんとかしのげました。
お湯を沸かすことができたので、ホットタオルで顔や体を拭くことができました。

震災後の不便な生活を体験し、当たり前なことは「ありがたい」ことなんだとしみじみ実感しました。
蛇口をひねれば水が出る、スイッチを入れれば電気がつく、エアコンが作動する、お湯が出る。
さらに、家族が元気で生きている。
当たり前は当たり前ではないんです。
イライラすることがあっても、ムカついてもやっぱり生きていることって素晴らしいことです。

私は毎年3月11日になると「当たり前は当たり前ではない」ことを思い出して日々の生活に感謝しています。

この東日本大震災を経験し、備えることの大切さをみにしみて感じております。
震災後、防災グッズの他に備えている物があります。備えるといいますか使いながら循環しているもので切らさないものです。

1.ウォーターサーバー
定期的にお水が届き、新鮮なものを使えますので重宝しています。
以前備蓄用の長期保存がOKのお水を買って備蓄していましたが、結局5年が経過し洗濯用として使用して終わってしまいました。
ウォーターサーバーですと、常に飲んで飲み終わる頃に新しいものが届くので常にお水があり安心できます。

2.乾電池
ランタンや懐中電灯に必要でしたので、常に切らさないようにしています。
東日本大震災後は乾電池が売り切れていたことも記憶していますので、使用したら補充しておくように気をつけています。

3.カセットコンロとガスボンベ
カセットコンロは日頃お鍋をする時に活躍しています。なのでガスボンベを箱買いして使ったら補充しています。
カセットコンロはライフラインが止まったら必ず使える物だと実感しています。お湯が沸かせるというのは本当にいいです。
暗い気持ちになったとき、温かい食事ができるとホッとします。

4.ガソリン
車があってもガソリンが入っていなくて、ガソリンスタンドに1時間とか並んで給油しました。
そんな経験から、ある程度はガソリンが入っている状態にしておくよう心がけています。

以上が我が家で最低限備えていることです。

日本全国で災害が起こる可能性はあります。
万が一のために備えておきましょう。







#もしもの備え

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