組曲『影街』について
何年も前から『影絵の街』という言葉が頭のなかにありました。いつか曲か何かにしようと思いつつ、長いあいだ形にできませんでした。
自死を考えている人には表情がない、こころが半分あっちの世界に行ってしまっているから、ととある小説で読んだことがあります。
過去に深い傷を負った人や、近しい誰かを喪った人、うつ病を抱えた人も同じような状態になることがあると思います。
あっちに行ってしまった半分のこころはどうしているのか?と考えていたときに『影絵の街』という言葉と繋がり、この曲になりました。
*
Ⅰ. 期待はずれの都市
ラジオからビートルズの『ノルウェーの森』が流れている。
広告と情報が溢れた都会のなかで、〈俺〉と〈彼女〉は無為で鬱屈とした日々を過ごしていた。〈彼女〉は様々な事情を抱え、死者と(会えはしないものの)会話ができるという〈影絵の街〉へ行くことを夢見ている。都市の情勢は日毎に荒んでいき、フェイクニュースや警報が毎日のように飛び交っていた。ある日とうとう、〈彼女〉は〈影絵の街〉へ行くために〈俺〉と住んでいたアパートから去り、姿を消した。
アメリカやイギリスの古いカルチャーにかぶれた彼女はブルースを口ずさみ、むかし寺町通の古着屋で買ったリーバイス501のケツポケットにポール・オースターの文庫本とイヤフォンつきの古いポータブル・ラジオを突っ込んで、目抜き通りを歩きながら街を出ていく。
〈俺〉はそんな〈彼女〉の抱えた事情を知っていたため無理には引き留めきれず、ひとり都市に残りひたすら虚無っていた。
Ⅱ. 影絵の街
その街にはひとつだけ、死者との思い出の品を持ち込むことが許されていた。本や写真、CDなど現世の情報が載ったものは禁止されていた。なぜならそれによって戻りたいという欲求を人々に持たせないため。そんなことを許すと何度でも自由に出入りできるようになり、均衡や秩序が乱されるから。人々は仮面(表情のない顔)をつけた影となり、死者と静かに会話をする。情熱や欲望、あらゆる喜怒哀楽を手放し、永遠に近い仮初の時間を過ごす。
人々が持ち込んだ思い出の本や写真はすべて入り口で焼かれてしまう。許可されているのは情報の記載がないもの、例えば結婚指輪やテニスのラケット、よく遊んでいた人形など。時計やオルゴールなどの器械は止まってしまう。
〈彼女〉が持ち込んだのはラジオだったが、それもやはり鳴らなくなってしまった。かつて〈死者〉が生きていた頃、一緒にFENを聴きながらいろんな音楽を教わった〈彼女〉にとって、ラジオはもっとも〈死者〉との思い出の詰まった物だった。しかしもう、そこから現実世界の音が鳴ることはない。文庫本も焼かれてしまった。
人々は死者たちとの思い出だけを生きる。他のことはもう何ひとつとして、彼らには必要ないから。
〈彼女〉はついに〈死者〉の声を聴き、積もる話をする。ともに思い出を振り返るものの、徐々に好きだったはずの古い音楽や小説のことを忘れていく。〈死者〉とそれらを分かち合ったことは憶えていても、それら自体は現実世界にしか存在しないから。〈影絵の街〉には図書館もレコ屋もSpotifyもなく、絶妙に融通が利かない。
彼女は〈死者〉に指摘される、それは本当に君の望んだことなのか?こんな仮初の世界でほとんどすべてを無くして過ごすことが?〈死者〉は自分との思い出よりも、〈彼女〉がかつて自分と共有した音楽や小説を憶えていてくれることを望んでいた。
彼女は首を振る。〈死者〉と離れたくはなかったが、本当は教えてもらった音楽を無くしたくもなかった。〈死者〉に指摘され帰り方がわからないことに気付いた〈彼女〉は激しい恐怖に襲われる。その恐怖を通じてはじめて、〈彼女〉は自分の「生きたい」という気持ちを知る。恐怖は生存本能から来ると〈彼女〉は認識しているから。
〈死者〉も〈彼女〉のなかに恐怖という感情がまだ残っていることに気付いた。進むことも退くこともできない〈彼女〉に、〈死者〉は〈影絵の街〉のルールを破って帰り方を教える。周りの死者や影たちに聞こえてしまうとまずいので、ラジオを介して。〈彼女〉は周囲にバレないように急いでイヤフォンをして〈死者〉の助言を聴く。〈彼女〉が持ち込んだのがたまたまラジオだったためこの手のチートが成立する。
〈死者〉は言う、物語や絵を書く(描く)ように、と。「感情を失うまえに、書くことで自分自身と帰り道を取り戻せる」。
それを聞いた〈彼女〉は砂に指で何かを書き続ける。〈影絵の街〉には紙もペンもiPhoneもなく、絶妙に融通が利かない。
〈彼女〉は長いあいだ書き続ける。
虚構の世界で別の虚構の世界を立ち上げることによって反作用的な何かがアレして、〈彼女〉は〈影絵の街〉をついに抜け出す。〈彼女〉と〈死者〉はふたたび離ればなれになる。
Ⅲ. 通りの神秘と憂愁(獏とアルマジロのための)
〈彼女〉は〈期待はずれの都市〉に戻る。もう影ではなくなったが、仮面は顔から剥がれない。一度〈影絵の街〉のようなわけのわからない世界に行き、帰って来たあとでは、もう二度と以前のように世界をみることはできない。
徐々に記憶が戻って来る。ラジオは息を吹き返したものの、〈死者〉の声が語りかけることはもうない。代わりに聴こえるのはかつて〈死者〉と共有した古い音楽だった。
〈彼女〉は自分自身を棄てようとした愚かな自分を省みながら懐かしの目抜き通りを歩く。世界は喧しく、神秘と憂愁と連想ゲームに満ちている。
しかし今度は住んでいたアパートへの道がどうしても思い出せない。剥がれない仮面と家路の喪失が、〈影絵の街〉に行った代償だった。
身体を取り戻した〈彼女〉は空腹と眠気に襲われ、アパートにあった古い鍋や食器、寝具を恋しく思う。
家に帰るためにはそこで待っていてくれる人が必要になる。〈彼女〉はかつて一緒に暮らしていた〈俺〉が迎えに来て、自分を見つけ出してくれることを望んでいる。〈彼女〉はiPhoneも財布も〈影絵の街〉に行く際に失っていた。ラジオからビートルズの『ノルウェーの森』が流れ、〈彼女〉はそれを口ずさむ。
しかし〈俺〉はフェイクニュースが吹き荒れる都会での生活に疲れ果て、さらに〈彼女〉をも失ったことで虚無感に苛まれ、猜疑心MAXの中年になっていた。自分の殻に閉じこもり、〈期待はずれの都市〉から出ることもなかった。〈彼女〉らしき人物が帰って来た、という噂を耳にするものの、どうせまたいつもの真偽不明の情報だろう、と〈俺〉は疑う。
それに、と〈俺〉は嘆く。もし本当に〈彼女〉だったとしても、きっと仮面が顔に張り付いて、別人のように変わり果ててしまっているだろう。たとえすれ違ったとしてもわからないに違いない。さらに〈彼女〉には連絡手段も身分証もない。
もう二度と〈彼女〉を見分けることはできない。
師走の夜、暗澹たる気分で会社から帰宅する彼の耳に、『ノルウェーの森』を口ずさむ懐かしい声が聴こえてくる。
*
今回ライブの機会をいただいたことで自分のなかで長いあいだつっかえていた『影街』をどうにか形にできてよかったです。『期待はずれの都市』は2020年春の緊急事態宣言下の東京をイメージしており、『影絵の街』〜『通りの神秘と憂愁』の長い間奏は〈彼女〉が書くために費やした途方もない時間をあらわしてします。
今後はさすがにもうちょい明るい曲をつくりたいのでまた機会あればよろしくお願いします。
てか書いてる途中で気づいたんすけど「仮面をつけた影」って普通にカオナシじゃんね、千と千尋の。やっちまった
てか『影絵の街』のイメージもバブル期に勢いで栄えたもののやがて廃墟と化した温泉街で、それもいま考えたら完全に千と千尋に引っ張られてました(豚になっちゃうとこ)。あーあ
てかあの映画でいちばん好きなのは影がぎゅいーんと伸びて一瞬で日が暮れて、神様たちが船から降りて来るシーン。超かっこいいから
てか舞台化見逃した。行きたかったマジで
〈影絵の街〉はカオナシの地元ってことにしといてもらえないっすかね、ジブリさん…
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