辞めたかった。辞められなかった。それがPhotoliだった
こんにちは。Photoli編集者の鈴木しのです。今月で、Photoliにジョインしてちょうど1年が経過します。
うちのメンバーは、区切りに文章を書くとか残すみたいなタイプではないので、たぶん振り返り系のnoteとかエントリとかを書く人はいないだろうなあと思い、この1年間で携わった仕事だったり、心の変化だったりを詰め込んで「Photoliにジョインして1年が経ったよnote」を書いてみることにしました。
振り返りnoteだけど、1年分あるのでたぶん長くなります。わざわざ文章で書こうなんてコスパの悪い考え方をする人間なので、なお長くなります。どうか、ご容赦ください。
【 Photoliについて 】
Web(spのみ) - https://photoli.jp/
Insta magazine - https://www.instagram.com/photoli_info/
▼ note
出会いと体験を提供する場所「Photoli」から、改めてごあいさつです
最初はたぶん「スーパーで買い物してきてくれない?」くらいのノリだった
わたしをPhotoliに誘ってくれたのは、他でもない、編集長の横尾でした。
もともと、2018年の頭くらいからお仕事で付き合いがあったので、よく一緒に仕事をしているフォトグラファーさん。それが、わたしにとっての横尾の存在でした。
(「よく仕事をしている」というと聞こえが良いけれど、まじでよく仕事をしていた。知り合いのオフィスで徹夜している姿も見てるし、わたしもわたしでガン詰みしているタイミングを見られてばかりいたし。
そういう意味で、性格もなんとなく知っているのと、そこそこ限界のときを見ているし見られているって安心感がお互いにあったのだと思う。今振り返ると、だけれど)
当時からPhotoliを運営していることは知っていて、記事を読んでいたり、公開前の記事を自慢されたり、主催する撮影会にもなぜか誘ってもらったことがあって。
「なんか手伝えることあればいつでも〜〜」みたいに伝えていたので、横尾が困ったらいつでも手伝うぜおっしゃ、くらいの気持ちでした。
▲ 「ほすほす」ってなんだろう
そうして、昨年の11月、LINEをもらったわけです。彼も「しのさん、ちょい手伝ってー!」くらいのスタンスだし、わたしも「おけー。なんでもー」くらいのスタンス。
肌感的には、キッチンからおかあさんが「ごめん!醤油切らした!買ってきて!」と叫ぶくらいのもの。二つ返事です。
オーダーはこんな感じでした。
● 記事の更新のスピードを上げたい
● 媒体の編集力をあげたい(現フォトグラファーの編集力をつけたい)
● 検索を意識した記事を増やしたい
改めて見直していて「今の仕事と全然違う…」と思ったのはないしょ。
Photoliには、もともと編集者というポジションがありませんでした。横尾を含む創業メンバーと一部のフォトグラファーが、記事の編集も担っていた。
ただ、記事広告の受注に伴う業務量の増加だったり、視座を上げること(営業だったり、資金調達関係の人脈組成だったり)に横尾のリソースを割いたほうが良いよねと考え、アウトソースに至ったそうです。
ちなみに、どうしてわたしを誘ってくれたのかは未だになぞです(笑)。一応、こうは言ってくれてましたが…っ
● 成長速度の速さ
● 一部の現メンバーにすでに信頼されている
● 人を立てたり話を聞いてあげる能力が高い
● 一緒に成長していけそう
成長速度とか、自分ではよくわかっていないんですよね。平たく言うと「Photoliの性格に合いそうで、一番近くにいた文章の人だし、よく会ってるからお願いしやすいしなあ」だと思います。スキルのみで判断しないご依頼、嬉しいんですよね。
(とはいえ、これは、信頼している方からのご依頼だったから成立したことだなとも思っています。ライターと編集者の能力は大きく異なるから安易に“文章の人だから”と発注すると、泣きを見ることもありそう。
わたしにとっては、編集側の力を付けたいタイミングだったので、ハッピーなお誘いでした)
醤油どころか、塩こしょうも、味噌も、酢も。なんにもないじゃんこの組織
正直、「ジョインする」って言葉を使えるほど、がっつりPhotoliにコミットするつもりではありませんでした。横尾の手が空くように編集を巻き取って、記事の更新が淀みなく進むようにする。
とはいえ、Photoliは4本/月程度の更新のメディアですし、企画を編集が担っていないので、がっつりリソースを空けなければならないってわけでもない。工数的には、3〜4時間/週くらいからのスタートでした。
フォトグラファーのみんなが書いてくれた原稿を、編集して、入稿して、公開する。内容的には、至ってシンプルな構図です。
Photoliは、フォトグラファーが記事も書く、ちょっと特殊なメディアです。フォトグラファーの特性や特徴に企画が依存するので、編集側が企画にアプローチできることがすごく少ないんです。
写真や機材に関する知識がよほど多ければ別ですが、基本的には、記事の企画はフォトグラファーのみんなにおまかせ。みんなと話し合いながら、書きたいものを記事にしています。
編集デスクで企画を考えて、ライターに発注するような、わたしが今まで関わってきたWebメディアとは運営方法がまったく異なるので、戸惑いが大きかったです。
そんなわけで、初期の頃は文字通りの「編集」の仕事を担っていたのですが、入って1〜2ヶ月くらいのタイミングで、メディアとしていろいろと課題が見えてきました。
一番は、編集する人手が足りないって話ではなくて、編集部としての機能がなにもないこと。まあ、当時は、編集長とフォトグラファーひとりで編集を回していたので当然といえば当然ですが。
● 執筆力と編集力が、共にまだまだ低い
● 記事の納期設定がない→記事公開までのタイムラグが大きい
● 記事企画が、フォトグラファーや編集長のリソース&推進力に依存している
● CMSの仕組みがやばすぎる(ゼロイチで開発しているので、欲しい設定がいろいろない)
● slackはあるけれど、チーム感がまるでない
更新スピードとか編集力とかの他にも、いろいろとやばい気が…する…と燃えたぎりました。更新済みの記事は90本ほどありましたが、なんならゼロイチでメディアの編集部を作るのとほぼ同義なんです。
記事を書くための体制もマネジメントの体制も、なにもかも整っていない。むしろ「よく1年半弱運営できているなあ」が肌感でした。
初期の頃は、本当に、みんなが書いてくれている記事をひたすら編集する日々(ときどき、Photoli編集部名義で記事を書いてもいましたが)。
たしか、まずは記事管理用のスプレッドシートを整えて、記事の管理用にTrelloを作って、ややこしすぎるCMSを覚えるところから始めた記憶です。
文章のことは一定わかるけれど、編集者としてのキャリアはまだまだ浅いし、写真や機材関連の知識がそこまで多くもないしで、編集しながらコツコツ知識を付けるしかない。
わりと実直に、編集っていう仕事と向き合ってみようと感じていました。
「わたしがPhotoliにいる理由」が生まれないうちに辞めようと思っていた
はい、ハードシングスっぽい話をします。
これまでの流れを踏まえると、じゃあ、そのあとは「Photoli頑張ったる!」と思って奔走……が華麗なストーリーなのですが、実はそうではありません。
年明けの1月後半から2月前半にかけて、毎日死にたくなるくらい悩んでいたことがありました。「Photoliを続けるか否か」です(早い)。
実は、わたしは今年の4月から、ある制作会社への入社が決まっていました。社員は2人だけの、小さな制作会社です。
駆け出しの頃からライターとしてフリーで関わらせていただいて、ときどきイベントの運営にも関わったりしていたことがきっかけで、正社員として入社しないかとお誘いをいただいていました。
わたしがどうあがいても手が届かないくらい遠くにいる人達の元で、もっともっと文章を極めていきたい。表現の視野を広く持てるようになりたい。そう考え、入社を決めていたんです。
ところが、ひとつ問題が。入社時の条件をすり合わせている際に「副業や複業は、一切禁止させてほしい」と伝えられたことです。
(※ 補足ですが、副業NGを提唱している堅い会社ではないです。むしろギルド組織で、風通しもすっごく良い会社。でも、当時のわたしの働き方や性格などを見て「副業せずに集中したほうが良いと思う」と提案してくださいました)
つまり、その条件を呑んで入社するとなると、Photoliは続けられなくなるわけです。
条件提示をもらったのが年明けの1月初旬のこと。ちょうどPhotoliも楽しくなりつつあるタイミングだったので、どうしようかなと悩み始めました。
入社を決めれば、わたしは彼らのもとで大きな成長を掴めるような気がしていた。
でも、Photoliは必要としてくれる人がいて、やりがいもある。なにより、入ったばかりだから抜けるのもなんか違う。
どちらも好きな場所なのに、どちらかを選ばなければならないことがすごく辛かったです。めーーーーーーーーっちゃ悩んでいました。答えが出せず、1ヶ月ほどグズグズと。
…
‥
.
1月末、わたしが出した答えは、誘ってくれた会社への入社でした。正直、まだまだ迷っていたけれど、なかなかないお誘い(5年目にして初の正社員採用だったので)。
ありがたい気持ちもあるし、成長だってできるはず。だから信じて進もうと思っていました。
Photoliを失うことは悲しかったけれど、それはわたしのわがままな感情でしかありません。
まだPhotoliになにかの結果を残していない今なら、仮に抜けたとしても、影響はないはず。そう自分に言い聞かせていました。
「やりがいと成長との二択で迷うなら、両方を叶える環境を、僕が作ります」
月が変わって、2月頭。決めたことは、早いうちに伝えるべきと考え、主催イベントの開催日のタイミングを見計らって、横尾との1on1をセッティングしてもらいました(もう、伝えるの本当にいやだった。プラスじゃない話するときの1on1ほど辛いものってないよね…)。
横尾自身も、おそらくソワソワしていたことだと思います。絶対にポジティブじゃない話がくると思っていただろうから。
主催イベント終了後の横浜で、パスタをフォークにくるくる巻きつけながら、話しました。今思っていること、悩んでいること、決めたこと。
横尾は冷静沈着なタイプなので、日頃感情が顔には出にくいのですが、その日、戸惑いはすぐに伝わってきました。
ジョインして3ヶ月目、これから頑張りたいって言っていたはずの唯一の編集者が、2ヶ月後に辞める話をしてくるんです。たぶん、聞きたくもない話だっただろうなと思います。怒りすらあったはず。
「そうなんですね…」と一言つぶやき、ふうと息を吐く彼を見て、自分から持ちかけた話にも関わらず、もうこの場所から立ち去ってしまいたくなるような心持ちでした。
横尾は、熱を帯びた性格だけれど、冷静で、感情に流されにくい人です。物事を客観的に捉えることもうまいし、人の感情把握も時として的確。
だからこそ、というのでしょうか。少しの沈黙の後、彼から飛び出したのはこんな言葉でした。
「しのさんがそう決めたのなら、僕にはとくに意見する理由がないなって感じました。自分がやりたい、やるべきだ、と感じたことを選ぶのが良いのだろうなと思っています。
でも、しのさんの話を聞いているうちに、やっぱりPhotoliにいてほしいって思いました。しのさんは、今抜けて、成長してそのうち戻ってくるって言ってくれるけれど、僕はそうは思いません。一度抜けたら、長い時間戻ってはきてくれないと思う。
それに、僕は、しのさんがいてくれると思えるから、今取ってきている仕事もある。いないと困るんです。
しのさんの話は、端的にまとめると『やりがいと成長、どっちを選べばいいのだろうか』に聞こえました。
もし、やりがいと成長との二択でしのさんが迷うならば、僕は、その両方を必ず作ります。だから、Photoliにこれからもいてくれませんか?」
10ヶ月前のできごとなので、少し美化されているかもしれません。ただ、忘れられるわけがない言葉だったのも事実で。印象深いので、結構鮮明に覚えているシーンだったりもします。
「熱を帯びた性格だけれど、冷静で、感情に流されにくい」と書いた通り、横尾は相手が抱えているモヤモヤを一旦抜きにして、会話の内容ベースで議論を進めることにとても長けている人です。
だからこそ、引き止められないだろうな、と思っていました。もしくは、引き止めてくれたとしても、その理由は「抱えていた課題を解決していないのに責任放棄するの?」とかかなと。
正直、しょーーーうじき、すごく嬉しかった。
言葉そのものだって嬉しかったけれど、その日の横尾は、責めたりもしなければ必要以上に寄り添ってもこなくて、でも、はっきり目を見てそう言ってくれたから。建前でもなんでもない、彼の本音だったのだと思います。
ライターも編集者も、あたりを見渡せば山ほどいます。鈴木しのである必要なんて、どこにあるのだろうかと、ひねくれた気持ちすら当時はありました。
でも、横尾は「一緒にやりたい」と言ってくれた。わたしの迷いを吹き消すには、十分すぎるほど十分でした。
「わたしも、Photoliにいたい」
グズグズとした迷いは少しずつ消えて、入社予定だった制作会社の方々にも謝罪をし、そうしてフリーランスとしてPhotoliに関わり続けることにしました。
(ちなみに、その制作会社の方々とは、今もフリーとしてご一緒にお仕事ができています。本当に、みんな良い方なのです)
この一連の出来事が、Photoliに入ってからわたしが経験した一番のハードシングス的なやつです(笑)。
ただ、わたし自身の気持ちの変化だけではなく、横尾が事業に懸ける想いの強さを垣間見たエピソードでもありました。
「やりがいと成長との二択でしのさんが迷うならば、僕は、その両方を必ず作ります」って、そう言えた言葉じゃありません。
「言ってくれるじゃん、それならわたしは、その可能性に懸ける」。そんな想いでPhotoliに残りました。
余談ですが、その後、Photoliを離れようを考えたことは、これっぽっちもありません。むしろ「早くフルコミットさせてくれ〜〜〜」と叫んでいる日々です。
本当の潤滑油。中村英史という人間について
ここまでですでに長いのに、まだジョインから3ヶ月しか経過していません。あれれ。有意義ってことにしましょうか。
さて、Photoliですが、1年前にわたしがジョインしたときと今とでは、比べ物にならないくらいに成長しています。
というか、クライアントさんだったり、読者のみなさまだったり、メンバーのおかげで成長させていただいています。
その過程で、語らずにはいられない人物がいます。マーケターとしてジョインしてくれている中村英史という人間です。
ポップアップストアの会社で正社員として働きつつ、Photoliでは横尾と共に経営レイヤーでいろいろ考えてくれている秀才マンです(コミット量は人一倍多いのに、本人は「Photoliのお手伝い」とか謳っているのでどうにかしたい)。
彼との出会いは、今年の頭。わたしがPhotoliに残ると決めた直後に開始したインターン採用でした。
本業でメディア運営に関わることがあったそうで、文章側の能力を高めたいと思っていたときに見つけてくれたようです。
採用を決めたのは、横尾でした。具体的には覚えていないのですが、中村とお茶か何かをしたそうで、その後「しのさん!えーじさん、めちゃめちゃ優秀なんです!なにかお願いしたい!」みたいなテンションのメッセージが送られてことを覚えてます。本当にテンションが高かった。
というわけで、特別な役割を持ってジョインしてくれたわけではないのが中村英史です。
彼のすごいところ、まあたっくさんあるのですが、あえてひとつだけにまとめるとしたら「組織に必要な役割を見つけて、作って、担えるところ」だと思います。
繰り返しになりますが、Photoliは昨年の今頃から比較するとだいぶ大きな変化を遂げたなあと思います。
ただ、個人的に、それは中村がいてくれたから成し遂げられた側面がとてもとても大きい気がしていて(もちろん、今のメンバーは全員なくてはならない存在なのだけれど)。
というのも、横尾の言葉が、Photoliのメンバーへと浸透するためには中村が必要だったんです。
横尾は、シンプルに思考の量と速さがとんでもない人です。一言でまとめるならキレ者。
彼がいるからこそPhotoliの事業は成長できるのですが、その反面で、何を考え行動しているのかは見えづらくなる弊害もあります。
「経営者は夢を語れ」なんて、よく言います。横尾は目の前の戦略を語るのも夢を語るのもとてもうまいのに「夢ばかり語って行動が伴っていないのでは?」とメンバーが不思議がってしまう場面がこれまでに何度かありました。
おそらくそれは、横尾の思考速度と同じ速度で彼の考え方を理解できている人がいないから。
かくいうわたしもそうです。横尾には全幅の信頼を置いているので「まあなにかしら考えての行動なのだろうな」と思うことしかできない。
どれだけ対話を繰り返しても、短時間では、その思考の差は埋まらないんです。良いとか悪いとかではなく、考えてきたことや見てきたものが違うのだからそれは当たり前のこと。
他のメンバーは、また違った軸で自分自身の考え方と行動をトキトキ尖らせてくれているだけです。
でも「行動が伴っていないのでは?」と仲間から思われ、不本意にも信頼を失うのは、なかなかにもったいないです。そこに対してアプローチしてくれたのが中村でした。
中村は、横尾の言葉を翻訳することが誰よりもうまいです。横尾が発した抽象論から具体論に導くこともできるし、伝えたい人に向けて言葉を噛み砕いてを説明することもできる。
とくに、その能力に助けられてきたのがわたしです。抽象的すぎてしっくりこない横尾の言葉たちを「つまり〜〜」「たとえば〜〜」と語り直してくれる。
いずれわたしもその視座に追いつきたいと思いながらも、ナイスコンビネーションな二人の力に圧倒されっぱなしの日々です。
「それとなくslackに入れてもらって、しばらく様子を見ていたら涼さんとメンバーの乖離が見えたんですよね。
僕はその乖離を埋められると思ったし、そこに価値があるとも思った。だからPhotoliにいます」
そう、以前中村が語っていたのが印象的でした。穏やかで、理性的で、でもヤンキー魂を持つ中村。彼なしに今のPhotoliはないと断言できます。
Photoliの鈴木しのを作る三要素。「編集力」「マネジメント力」「ディレクション力」
はい、横尾と中村、Photoliのブレーンの二人のご紹介でした。わたしのお仕事の話に戻ります。
Photoliにジョインしたときは、編集者としてメディアを育てることに全振りするのだと思っていました。1年も経てば、編集をメンバーと分担しながら「編集部」としての機能が生まれているのだろうなとも思っていました。
ところが、まだまだ、全然です。戦略としてメディア側ばかりに全振りしなくなったからというのもありますが、Photoliでわたしが担っている仕事はいわゆる「記事の編集」からは外れたものが多いです。
● クライアントワークのディレクション
● インスタマガジンのコンテンツ企画〜制作ディレクション
● フォトグラファーのマネジメント
● 撮影会の運営
● SNS運用
● 自社のメディア運用
ざっと挙げてみるとこんな感じです。PhotoliにはWebメディアの他にも、インスタマガジンだったり、クライアントワークだったりでの制作もあるので、そちらにリソースを使うことのほうが圧倒的に多い。
ずっとライターとしてのキャリアしか歩んでこなかったので、正直ディレクションには戸惑いもありました。
そして、業務内容とは少し離れますが、おそらくわたしがPhotoliの中で一番得意なのが「メンバーのマネジメント」のような気がしています。
Photoliのみんなが働きやすいと感じてくれたり、居心地が良いと感じてくれるような環境を作ることがすごく楽しいし、やりがいもあるし、向いているようです。
以前も別のnoteで書いたことがありますが、Photoliに入ってから、文章面以外にわたしが持っている良さをたくさん知る機会に恵まれています。
もともと持っている職能だけではなく、向いていることだったり、人柄だったり、いろいろな側面から「人」を見てくれるメンバーが多いからでしょう。
もともと自己肯定感がひどく低いのがわたしですが、Photoliにいることで、わたしがいる理由を見つけられる。そして、それはそのまま強みで、活かせることだったりする。しあわせなものです。
フリーランスが組織に所属することで得られた「やりきりたい」という覚悟と意思
ここらで、2019年でPhotoliで担当させてもらった仕事を一つずつ振り返ろうかなと思ったのですが、あんまりにいろいろ溢れてくるので全然書ききれません。
スタートアップらしいなと思いますが、わたしが今Photoliで担当している仕事の多くは「職能があるからできること」ではありません。
書き仕事が得意なことはもちろん活きているけれど、文章を書いたり編集することがそのまま活きることは数多くないからです。
それよりも「組織に所属する感覚」がわたしに与えてくれたものが多いような気がしています。というのも、前述したとおり、わたしはもともと今年の春から会社員になろうとしていました。
その理由は、自分自身の成長速度への不安と納品ベースに留まらない貢献欲です。フリーランスは自由だし、快適だし、とても楽しい。でも、不安でした。
とくに会社員を経験したことのないわたしにとっては、市場価値を図る機会もないし、成長を評価するために指標も持ち合わせていないので、なおのこと。
そんなときに出会ったPhotoliでは、成長を知る瞬間と組織に対して貢献する面白さとか、いろいろなことを知りました。
たとえば、Photoliのインスタマガジン。現在は、フォトグラファーとの企画から進行管理から投稿から、いろいろと担当させてもらっています。
ところが、もともとは編集長がフォトグラファーのみんなと企画を考えて、進行管理して……ってリソースのない中、だいぶ無茶して頑張ってくれていました。
ただ、そばで見ている身としては、他のことにリソースを使ってほしいなと思う気持ちも大きくて。そこで、進行管理に始まり、企画などなど、じわじわと関わる範囲を増やさせてもらったんです。
「自分なら能力があるしできる」と思ったからではありません。むしろ、できるだなんて思っていなかった。
でも、やるしかないって思える環境でした、いつも。フリーランスの業務委託ともなんか違う「Photoliの人間である」という自覚を持ち始めていたからでしょう。
Photoliに関わる中で、少しずつ、本当に少しずつですがわたしの主語が「自分」から「Photoli」に変わっています。
そのPhotoliを成長させるためならと思うと、自分が向いているとかできるとか得意とか、そんなことはどうでも良くなるんです。
もちろん最適配置は今後考えていかなければならなくなるはずなのですが、当面はそうしてがむしゃらにPhotoliと向き合いたくなる環境のままでいたいなとも思っています。辛いけれど、楽しいです。
今だって、ずっとずっと不安で押しつぶされそう
いろいろと経て、随分と「Photoliの人」が自分に浸透してきたなと思っています。
仕事仲間からはおろか、学生時代からの友人や家族にまで知ってもらい、みんなに応援してもらいながらPhotoliの人をできていることが本当に幸せでしかありません。
Photoliにジョインして1年。1年経ったけれど、ずっと不安です。
Photoliにいることで、わたしはちゃんとバリューを出せているのだろうか。誰かの重荷にはなっていないだろうか。わたしがいることが、誰かの助けになっているだろうか。考え始めると、キリがありません。
それでもわたしがPhotoliにいるのは、今のところ、それらの不安にきちんと「YES」を出せてきたからなのだと思います。
仮にわたしがいなくても、Photoliはもっと成長すると思う。でも、わたしならもっとPhotoliを成長させられるかもしれない。図々しいなと思うけれど、それくらいの想いがあると、前向きでいられるような気がするんです。
Photoliで、みんなと、一緒に良い夢を見ようよ
長々と、まあ長々と、書きました。初めてこのエントリを書き始めたのが10月下旬だったので、約2ヶ月かけて書いたことになります。珍しく、ちまちまと一段落ずつ何日もかけて書き進めました。
これまでの1年間を振り返りながら、思い出したエピソードがあったら追加して、順番を入れ替えて…って、ここ最近で書いたどのコンテンツよりも、時間だけはかかっているような気すらします(笑)。
さて、過去のエピソードをすべて広げてお届けしたのですが、どうでしたでしょうか。今まであんまり表に出してこなかった、Photoliの人柄。少しでも、届いたら嬉しいなあと思い、この記事をしたためています。
最後になりますが、私たちは、写真を通してたくさんの方にほんの少しの心の豊かさを感じてほしい。そう願いながら、常に事業を作っています。
横尾が昔、こんなことを言っていました(本人が覚えているかどうかはわからないし、たぶん覚えていない)。
「僕と一緒にPhotoliをやっていたら、悪い夢は見せません」
聞いた当時は、単純にメンバーとして「そんな風に言ってくれるなんて、嬉しいな」と思っていました。
でも、改めて考えてみると、わたしの捉え方が以前とはなんだか違うんです。なぜなら、わたしは、横尾に夢を見せてもらいたくてPhotoliにいるわけではないから。
むしろ、Photoliを通して、横尾に夢を見せたい。オリンピック選手が、監督を胴上げしたい、みたいな感情に近いかもしれないです。
──Photoliを通して、わたしは横尾に夢を見せたい。でも、ひとりじゃ難しいから、みんなで夢を形にしたい。
そうして生み出す世界では、ひとりでも多く写真に関わり、写真を楽しみ、写真を通して小さなしあわせを見つけてほしい。
こんな風に考えるようになりました。
すごく安易な、浅はかな、甘えた夢物語かもしれません。でも、そんな夢を本気で叶えようとしているのがPhotoliです。
2020年は、もっと夢が現実に近づいていく。だから、どうかPhotoliの歩みを少しだけでも応援してもらえたら嬉しいですし、なんなら一緒にその道を作ってください。絶対に、悪い夢にはしませんから。
ふうううう。それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。良いお年をお迎えください。鈴木しのでした。
main photo by - kon