作り物でも良いから「デキる私」でいたかった
新年2日目から大きめのミスをやらかして落ち込んでいる物好きとは私のことだ。
日頃から小さなミスも多いし、大層なミスもあるけれど、2020年はできる私でいようと決めたじゃない。でも、人はそう簡単に克服できないことだってあるようだ。
思えば私は、ひとつの組織と長く深く付き合うことを意図的に避けてきた。人間関係を続けることが苦手なのだろうかと思っていたのだが、どうやらそうではない。
たぶん、幻滅されることが怖いのだ。
比較的若いとされる年代からフリーランスで働き始めたが故に「若いのにすごい」だの「一人でえらい」だの、そういう言葉をたくさん浴びてきた。もちろん、嬉しかった。
ただ、その言葉たちのシャワーが私の中に作り出したのは「デキる奴でいなければならない」という、固定観念だった。
デキる奴でいなければ嫌われる、信頼がなくなる、仕事がなくなる。このあたりの感情がにゅるりと現れ、足元にじっとりとまとわりついて離れない。
だから、デキる奴でいられなくなりそうな場所からは身を引いてしまう。幻滅されるくらいなら、他の場所へ行こうと思ってしまう。本当の自分をさらけ出してまで、嫌われたくなんてないから。
話を冒頭に戻す。
新年2日目から大きめのミスをやらかして落ち込んでいる。ただ、もうこの場所から私は逃げたりはしない。
結局、デキる奴を演じるのはとても疲れるし、無理があるから。バレる前に身を引いてしまうのは、その場しのぎであって解決策でもなんでもないし、なにより、誰よりも私が仲間を信用していないことの現れでもあると思う。
今私がいる組織は、決してミスに甘くないけれど、それぞれの弱さをみんなが知ってくれているような気がしている。強さも弱さも、向きも不向きも。
それはちょっぴり恥ずかしいようで、清々しい。
できないことを「できない」と伝え、間違ったら「ごめんなさい」と伝え、嬉しいときには「ありがとう」と伝えられる。
シンプルなキャッチボールなのに、私は、それができる仲間にやっと会えたみたい。
その組織の名前を、Photoliという。
できないこともできることもあるけれど、やっぱりデキる奴ではいたい。2020年は、キリリと格好良い大人になるぞ。
それでは、今年もよろしくお願いいたします。