内省を謳歌したい、そんな夜に
たとえば、どうしようもなく一人になりたい、そんな夜がある。視界や耳元に入り込む大量の情報をいよいよ抱えきれなくなり、誰からも干渉されない空間で、一人使い果たした脳に休息を与えたい。そんな夜だ。
思えば最近は、このうえなく疲れきっていた。消耗に次ぐ、消耗。「東京なんかきらいだ」と豪語するほどではないけれども、都心は時として、億劫がすぎる。そういうとき「どうか都会にもオアシスがほしい」と、声にもならない声で、そっとそう叫ぶのだった。
知り合いのビールをつくっている会社の人が、おもむろにそんなことを語りだした。「文喫(ぶんきつ)」というのは、かつて六本木に存在した青山ブックセンターの跡地を活用して生まれた、文化を喫するための本屋だ。
本屋だと謳っているが、特徴的なのは“ 入場料 ”が必要であること。平日であれば、1,650円(税込)の入場料を支払うことで、営業時間中を本にまみれて過ごすことができる。
店内には喫茶店という機能もあるので、望みさえすれば、朝から晩までを文喫で、という過ごし方もあり得る。いうなれば、それは“ 本のテーマパーク ”のようなものなのかもしれない。
2018年のオープン以来、わたしはそこそこの頻度で訪れており、書籍を満喫することもあれば、電源やWi-Fiなども用意されていることから、ちょっとした仕事場として活用させてもらうこともあった。
本と、喫茶と、仕事が好きなわたしにとって、文喫という場所は、いわずもがな、朗らかな憩いの空間としての機能を果たしてくれているのだ。
彼女は、そう続けた。どうやら文喫では、期間限定で「ビール」と「スイーツ」という、ちょっとばかし不思議な組み合わせのコラボレーションメニューを取り扱っているらしい。
ビールといえば居酒屋さんだろうし、スイーツといえば喫茶店だろうけれど、そのどちらでもなく、「喫茶店」で、「ビール」を嗜むという営み。それがいったいどういうものなのか、安易に想像こそつかないのに、どこかワクワクしてしまうわたしがいた。
浮わついてしまう心の有り様をなんとか抑えながら、喫茶の注文カウンターへと赴く。用意されているという3つのコラボレーションセットをお願いしたら、すこし時間がかかるそう。それならと、料理ができあがるまでの時間に空間内を大散策。気分にあわせた書籍を選ぶことにした。
さて、あれこれと練り歩いて今日のおともとなる書籍を見つけた頃には、料理ができあがったという報せも届いた。さっそく、料理を手に今日の特等席へ。
「おいしい注ぎ方が別紙にあるのでよければ」というスタッフさんの声を思い出し、缶のまま渡されたビールをグラスにそっと注いでいく。ささやかな濁りが残るのは、酵母が入っている証。
準備ができたらグラスを手に、自分に向けた「かんぱ〜い」の声を贈る。あとは心ゆくまで本を読み、喫茶に酔い、考えごとなんかをしながら過ごすのみ。そのひとり時間を遮るものなんてなにもない。それが、あまりに極上だった。
それに、一般に「ビール」というと、苦みやのどごしなんかをイメージすることが多いだろうけれど、今回文喫とコラボレーションしている銀河高原ビールは、そういうキーワードよりもまず“ まろやか ”とか“ 甘み ”なんて言葉が頭に浮かぶ。
バナナや桃をビールに加えたような、やわらかい味わいがあふれるからか、不思議と甘いものと合わせても違和感がない。それどころか「むしろ合いすぎる……」という具合で、知らなかった世界を教えてくれる。
個人的に、一番好きだった組み合わせは、銀河高原ビールと合わせるために選んで仕入れたというレアチーズケーキ。お互いのなめらかさが、助け合う関係性のように感じられて、「尊い……無限リピ……」と一人でこっそり悶絶した。
この日、脳内に溢れているどことなくゴモゴモした、未消化の思考と向き合えるような時間が訪れた。
情報量の多い都心で暮らしていると、自分の心の内と対話する時間がずいぶんと減るなあと思う。インプットのほうが多すぎて、アウトプットや、それに至るまでの思考が追いつかない、というか。
そんなとき、こうした空間があることが、どれほど救いになるか。大衆居酒屋とかサウナでカッと発散したいようなストレスがあるように、わたしには、しずかに内省を繰り返しながら自身を整えたいようなストレスがある。
自宅とはまた異なる場所にそれを求めるなんて少々わがままなのかもしれないけれど、逃げ込める安全地帯があって、それがこのうえなく居心地のいい空間なのであれば、そんな嬉しいことはないのだ。
自分自身をきちんと癒してあげられる時間や空間を見つけるのは、そう容易ではない。あれこれとさまよい、困り果てる自分自身を、わたし自身も幾度となく見てきている。そんなとき、文喫はきっとその選択肢の一つとして、大切な役割を担ってくれるのだろう。
だから、そのうちふと「また内省を謳歌したい」と脳内が喚きはじめた頃には、おもむろに訪れてみようと思う。日々、心や脳との対話が尽きない人種にとってのオアシスが、ここにはたしかにあるのだと知れたから。
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