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ブレインダイブは「現代アート」である

こんにちは!しんのすけです。
「YouTubeチャンネルあたらしくん」を作っています。

イギリスでは、高校生になると専攻科目を選べる制度があります。
僕はアートを専攻していました。
というのも、「英語をそこまで使わず、作品作りに集中できるならいいじゃん!」という安直な考えからです。
でも、最近また現代アートにハマってます。昔から美術館にはちょくちょく足を運んでいましたが、この2〜3年はアート関連の書籍や写真集を手に取る頻度が格段に増え、それらをじっくり読み込むようになりました。

11月行った塩田千春さんの個展最高だった!

振り返ると、高校時代にはアートの歴史について深く学ぶことはほとんどありませんでした。今さらながら、「アート史にはこんな時代の流れがあるのか」と、新鮮な気持ちで向き合っています。

現代アートの問い

現代アートの話になると、よく耳にするのが「そもそも現代アートって何?」「これがアートと言われる理由は?」という問いです。たとえば、「トマトスープの缶の絵が何千万円もする理由って何?」なんて話も。

アンディ・ウォーホルは強い!


最近気づいたのは、「アートとは何か」という根本的な問いに対して、自分なりの視点を持つことの大切さです。「どれがアートで、どれがアートでないか」を判断する基準は、外から与えられるものではなく、自分の中で少しずつ構築していくものだと実感しています。

僕にとって、ブレインダイブはまさに現代アートです。それは、体験する人自身がアートの一部となり、その体験を記録した動画を観る視聴者もまた、アートのプロセスに巻き込まれるからです。

アートの本質

では、アートの本質とは何でしょうか?僕が思うに、それは「昨日の自分には戻れなくなる体験」です。
日常の景色が違って見えたり、自分の中で微妙な変化が生まれたりするような感覚。そうした変容を引き起こすものこそ、アートと呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。

アートは単に美しさや技巧を評価するだけのものではありません。人の内面に響き、新しい感情や視点を呼び起こす――その「変容」がアートの核だと思うのです。

この観点で言えば、マジックもまたアートであるべきです。
心に響くマジックは、ただのトリックで終わらない。それを目にした瞬間、「昨日の自分には戻れない」と感じさせるような体験を与えてくれるものです。未知の情報に触れたときの恐怖や説明のつかない不思議さ――そうした感覚が観る人の心に深く刻まれることで、マジックは娯楽以上の存在へと昇華します。
問いや余韻を残すマジックこそ、アートと呼べるものだと思います。

アートとして動画が語られる時代の文脈

動画というメディアもまた、現代アートに通じる「多層性」を持っています。現代アートがインタラクティブな体験や参加型の要素を重視する一方で、動画は「固定された記録」という性質を持ちながら、観る人によって異なる解釈や感情を引き出す力があります。

たとえば、ブレインダイブの動画は、観客が体験した驚きや変容を映像として記録することで、「アート体験のアーカイブ」となります。そして、その映像を観る行為もまた、新たな感情や思索を引き起こすプロセスなのです。こうした観点から、動画は「動的なアート作品」として捉えられるかもしれません。

動画がアート作品として認められるには、時代の流れという視点も無視できません。人々の価値観や社会の変化が動画というメディアの評価に大きな影響を与えているからです。短いスパンで消費されるもの、手軽な娯楽と見なされがちな動画も、いずれアート作品としての地位を確立する日は来るはずです。

この記事を読んで、もし昨日の自分に戻れないような気づきを得ていたとしたら、それ自体が一つのアートである証拠かもしれません。

アートの話は尽きないので、続きはまた別の記事で!

それでは!

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しんのすけ
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