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『国境の南、太陽の西』村上春樹作【人生における幸福、特に『男』にとって】
こんにちは、初めましての方は初めまして。
前回の予告とは違うのですが、
今回は村上春樹さんの小説、
『国境の南、太陽の西』について書いていきます。
長文になりますが、お付き合いいただけましたら幸いです。
▼あらすじ
小説の主人公『僕』は、
『BRUTUS』に載るような、ジャズを聞かせる上品なバーを経営し、
二人の子供を育て、青山に4LDKの家を持ち、幸せな家庭を築いてる。
そんなある日、小学生の時によく遊んでいた女性、
『島本さん』が雑誌の記事を見て、自分が経営するバーに訪れてきた。
それをキッカケに『僕』は昔抱いていた感情を思い出し、
今の「幸福」な日常に疑問を抱き始める、、、
▼感想
今回、ぼくが抱いた感想、疑問は「幸福」の定義についてです。
一見、主人公の『僕』はとても幸福な人生を送っているように見える。
あらすじにも書いたが、趣味の音楽を半ば仕事にし、
奥さんと娘を立派に養い、青山に4LDKのマンションを買い、
箱根に別荘まである。
百人に聞いたら百人がこれを聞いて、
幸せな男を想像するだろうと思う。
しかし、そんな男ですら過去の恋心を思い出して不倫をしてしまう。
しかも肉体関係だけでは飽き足らず、
今まで築いてきた家庭、仕事、
『全て』を捨ててでも彼女と一緒にいたいと思ってしまう。
なぜこうなってしまうのだろうか。
子供も妻も愛しているのに、なぜかさらに多くを求めてしまう。
しかも、今まで築いてきた全てを失ってしまうかもしれないのに。
僕の答えは、
人は、特に男は、何かを「追求」することに喜びを感じるからだ。
もちろん人によって何を追求するかは違う。
恋人、お金、地位、名声、
形こそ違うけれど、それを追い求めることによってしか
幸福を感じないではないかと思う。
だから今まで追い求めてきたものを手に入れてしまうと、
しばらくは満足感に浸って生きていける。
しかしまた何か違うものや、手に入れたもの以上のものを欲してしまう。
男性のこの傾向は狩猟・採集時代の男女の枠割分担に原因があると思う。
本来は常に食料不足に悩まされている先史時代の本能だったものが、
物質的に満たされている現代の男性にも残っている。
だから常にある種の『狩り』、
すなわち『追求』を止めることができないのだ。
それに対して女性は、家庭を守るという役割、つまり自分自身も含め、
自分の社会が何らかマイナス事象に直面した際に行動を求められていたので、「防衛本能」が強い。
なので、自分を取りまく環境を壊してしまうような余計なリスクは基本的には取らない。
まとめると、女性は社会目線でマイナスをゼロにしようとする、
それに対し、男性は個人目線でプラスを更にプラスにしようとする、
ということなのではないかと思う。
だから、
不倫をする女性は家庭にかなりの不満があるから、不倫をして、
不倫をする男性は家庭にどんなに満足していても、不倫をする。
あくまで僕の感覚だが、この傾向は大いにあると思う。
結局何が言いたいかと言うと、男性にとっての幸せは
「追求」にあるのではないか、ということだ。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今回堅苦しくなるのを避けようと思い、
カジュアルな文体で話そうと思いあえて敬語を避けて書いてみたのですが、内容のせいか硬い印象になってしまいましたね。
次も試行錯誤しながら書いていこうとお思いますので、
よければ読んでみてください。
次回もよろしくお願いします。