おっちゃんのお年玉
こんにちはShohkoです。
お正月明けの忙しさが落ち着いてきましたね。
今回は自己肯定感の回復話にも関係する話で、何だかんだ私が生きてこれた理由のひとつのお話です。
お正月は実家に弾丸帰省していたのですが、その際にお年玉をもらいました。お年玉をくれたのは私がおっちゃんと呼ぶ電気屋のおじさんで、母の幼馴染のひとり。
おっちゃんとの出会い
おっちゃんにお世話になり始めたのは確か高1で、志望校に合格したものの薬やストレスで体がボロボロで学校には週の半分ほどしか通えなかった頃。母は、さぁ次は大学受験だ!と意気込んで複数の塾に申し込むも通えるはずもなく(そりゃそうだ)、また、私の霊感が本格的に開花した事で、母憧れの霊能者への道まで期待しはじめ、更にしっちゃかめっちゃか。
母はその頃におっちゃん含む幼馴染との席で私の話(主に愚痴)をしていたようで、母の話を聞いてか私の様子を見てか、おっちゃんは母に問題ありと見て、そこから私の事を気にかけてくれるようになりました。
おっちゃんからの助け
うちは丁度その頃から家電の一切をおっちゃんに任せる事に。
おっちゃんはまず母に、用事がある時はお嬢(私)も一緒な!と言ってくれ、母が家電の修理や顔が広いおっちゃんに何がしか相談するときは私も同伴に。
いつも喫茶店に連れて行ってくれ、母がトイレなどで席を外した隙に、母ちゃんまずいな。何もされてないか?と聞いてくれたり。
大学受験の時など、最新版のガイドブックを買って地図の目的地にマーカーを入れ、注意事項を書きだしたメモまで挟んで渡してくれ、ホテル予約から何から全てしてくれていました(母はラッキー♪といった調子で、育児にノータッチ&無関心の父は何も知らない)。
ノイローゼなのか何なのか、母が夜中に虚ろな目をして無言で部屋に入ってきて殴ってくる、という奇行が繰り返された時も、いち早く異変に気付いてくれたのがおっちゃん。後に母から聞いた話では、その頃に、俺がお嬢を引き取って育てる!と言ってくれていたそう。男所帯(おっちゃんはシングルファザーで年頃の息子がいた)なのに馬鹿じゃないの?と母は憤慨していたし、その時聞かされたとしても私はそれを選ばなかっただろうけど、その気持ちがとてもとても嬉しかった。
現在も
そんな私にとっての大恩人のおっちゃん。おっちゃんにとって私はいまも心配な子供のようで。私の好物やら保存のきくものやらを、お嬢に送って!とちょくちょく母に預けてくれ(勝手に開封して食べられていますが…)、年末には1年間貯めた商品券をお年玉としてくれます。もう孫もいるし、商品券だって使い道はいくらでもあるのに。
傲慢で物事が見えていなかった若い頃の私はその有難さを真には理解できていなかったけれど、いま思うといつも沢山の人に支え助けられてきていて。
親に心身ボコボコにされるのは本当に辛かったけれど、その時でさえ、一方では恵まれていたんだなとおっちゃんを思い出すたびに思います。
マイナスだけとかプラスだけって基本的にはないし、今生きてるだけで凄い事。・・・とまた話がそれてしまう&既に長いので今回はこの辺で。
最後までお読み下さり、ありがとうございます!