17.山の思い出
12月17日。A面はあと一週間ほどで年末の仕事が終わります。残業がなければ……。大きなトラブルとかがあればたぶん出勤ですし……。
A面、山の思い出
A面って山とか海とかあんまり行かないんだよね、と思っていたら、山、あった。
A面の九州の実家(祖父母宅です)は山のふもとにある。山の名前を言ってしまえば身バレになるほど家がないので言えないが、夏休みはその山をしこたま上った。
A面が小学四年の頃、初めてANAのジュニアパイロットというサービスで、当時小学校に上がりたての妹を引き連れて関西から九州へ旅立った。今ジュニアパイロットの表記を見たら6.7歳のお子様が対象なのだと知った。四年生なら自分で行けただろうに。たぶん厳密には妹のほうにジュニアパイロットが必要だったのだ。
夏休みの期間、九州へ最長三週間ほどやっかいになったのだ。祖父はちょっといじわるなじじいであり、朝から私たちを山に登らせた。毎日欠かさずに天気のいい日は山に登らせた。階段で頂上まで目指すコースは覚えていたのだが、下道を覚えていなかった。グネグネとつづら折りになった坂を上り続けて20分か30分で頂上に着く。なんとも「毎日上らんば、体が怠けてしまう」とのこと。
帰りは階段で最速ルートを使って帰る。しかし、階段は下りのほうが体力を使うので、足がプルプルと子羊のようになってしまうのだ。膝がわらわらと笑い出すのをこらえ、よちよちと下っていく。
そんなある日、じじいが「帰りも下道で帰る」とおっしゃる。ふてくされながら歩いていると、小学生の謎通貨、「狐の小判」を大量発見した。A面は学校帰りに狐の小判を見つけてはちまちまと収集していたので、ざっくり落ちている狐の小判を見つけて大喜びした。ポケットにパンパン詰め込んで家に持って帰り洗面所でざぶざぶと小判を洗った。きれいに乾かし、袋に詰めた。思わぬ収穫にニッコリのA面少女時代。いじわるじじいでもいいこと言うじゃんみたいに思っていた。
あの山、有名な夜景スポットで夜上ると結構な確率でやんちゃな人に出会ってしまう。そして男女のひと時を応援するホテルもちらほらあるようなところだ。
花火大会がある夜、山に登りたいといっても断固拒否されたのはこういう理由だったのかと、知ったのはだいぶ大きくなってからだった。
B面、山の思い出
えっと、もしかするとこの話、川の思い出で話したかもしれないんだけど……え、眼鏡が生き返った話はもういい?
んー、じゃあこの話をしようか。
中高時代はワンダーフォーゲル部でいろんな山に登っていた。思い出があるが、印象に一番残っているのは木曽御嶽山で高山病に苦しんだことである。おそらく今までで唯一の自覚症状があった高山病だと思う。
ワンゲルの合宿で中2の時に登ったんだ。その日はたしかどこかの登山道の入り口から登って頂上の小屋で一泊した。寝るぐらいまでは問題なかったんだが、途中で耐え難い頭痛で目が覚めた。当時は高山病の知識はあったものの、一切それに思い至らずに頭の痛みにうーうー唸っては布団にくるまっていた。
いや、ほんとうにあれは苦しかった。言語化はうまくできないけど。風とか病気で頭が痛いのとはまた違う何かがあったんだ。何とか無理やり寝て、次の日は五の池方面から濁河温泉へと降りて行ったんだ。下っているときにガスが一瞬晴れて見えた五の池は本当にきれいだった。まあ、五の池小屋についてしばらくしたら晴れたんだけどね。
あの山がまさかああなるとはなぁ。