見出し画像

敗戦記念日に思う  新見正則

日本が敗戦していない未来

8月15日は終戦記念日でした。僕は、ある程度の年齢になってからは、終戦記念日ではなくて、敗戦記念日だと思うようになりました。

僕の父は論理的で賢い人でした。満州で従軍し、身内の多くを原爆で失いました。その父自身が「原爆が落ちていなければ、日本は南北に分断されていただろう、この敗戦がなければ今の日本はない」とまだ幼い僕に語っていました。
 
確かに、大戦で日本が勝っていたらどんな日本になっていたのでしょう。現在の日本国憲法ではなく、当時の大日本帝国憲法が継続していたでしょう。国民に主権はなく、天皇が主権者です。基本的人権はなく、女性の参政権もありません。男性でもある程度の納税額がある国民にのみ投票権が与えられます。経済は財閥によって牛耳られ、農民のほとんどは小作。そして教育勅語に従った教育が施行され、軍部が力を持ち続けるです。

伊藤塾で学んだこと

十数年前のことですが1年間だけ、夢中で法律を勉強しました。朝早く起床し、毎日数時間「伊藤塾」という司法試験予備校のDVD授業で法律の勉強しました。当時はオンラインではなくDVDでしたよ。塾長は伊藤真先生です。

伊藤先生の講義を今でもときどき聴き直しています。そして今ではYouTubeで講義を聴くこともできます。

国民は憲法に縛られない

伊藤先生は「国民は法律には縛られるが憲法には縛られない」と教えています。確かに、憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とあり、国民は含まれていません。

つまり憲法は国家を縛るために存在するのです。憲法は法のトップと思っていた僕には目からウロコでした。法律は国民に制約を与え、憲法は国家を縛るのです。

余談ですが、今の僕の講演スタイルは伊藤真先生の講演をその後徹底的にパクった(TTPした)ものです。スライドはほとんど使わず、そして前を向いて、論理的に語るスタイルです。かっこいいでしょ。

非武装中立で平和が守れるか

 伊藤先生は「非武装中立」を訴えていました。当時、僕は確かにそれがいいだろうと思っていました。ところが、2022年2月24日にロシアがウクライナに武力侵攻し、僕の考えは変わりました。

「非武装中立」ではロシアに北海道を、中国に沖縄を武力侵略される可能性が残ります。国家を自分で維持するための最低限の武力が必要と思うに至ったのです。

国家として医療費の増額を期待する意見が当然にありますが、僕には防衛費の増額はそれ以上に必要と思います。今の医療が完璧とは言いませんが、現状でも諸外国と比較しても相当素晴らしい医療を、それも個人の負担は低額で提供できています。

明日は我が身と想像してみる

戦争に巻き込まれない国作りが必要です。伊藤真先生が語った「非武装中立」は残念ながら、理想の姿でしょう。アメリカの国際的立場での立ち位置が微妙となる昨今、自分の国は自分で守るだけの武力は必要と僕は思います。

戦争に巻き込まれないための武力が必要なのです。ウクライナは将来の日本かもしれないのです。

ちなみに、法律を勉強すると身を守れます

法律の勉強はその後も役に立ちました。赤字の病院の再建のために、公益財団法人に三顧の礼で理事長として迎えられましたが、短命で終わりました。評議委員会から突然に解任されたからです。そして、なんと1,500万円を超える損害賠償を要求されました。既得権益を原因とする赤字が次々に僕に暴露されるのではないかという不安がそうさせたのでしょう。

その後、裁判では僕が100%勝ちました。そして、評議委員会に瑕疵があったことも認めさせ、和解で終了しました。何回も僕自身が裁判所に足を運びましたが、法律の勉強をしていたために、まったく動じることはありませんでした。

不幸のおかげで今がある

いろいろと不幸は訪れます。不幸をチャンスと思って、あれが良かったんだと思えるように自ら振る舞うことが大切です。将来、振り返ってみたときに、あの不幸があったから今があると思えることが大切なのです。ですから、僕にとって終戦記念日は敗戦記念日なのです。そしてその敗戦のおかげで今の日本の繁栄があるのです。

敗戦記念日に父を思う

そして、そんなことを教えてくれた父親とは、生前にもっといろいろな話しをしておけばよかったと思っています。戦争を経験した父親が今も生きていれば、非武装中立が願いなのか、戦争に巻き込まれないために十分な軍隊を持つことに反対ではないのか、などなどがまず浮かぶ僕の彼への質問です。僕にとっては、そんなことが心残りと感じさせる敗戦記念日でした。


いいなと思ったら応援しよう!