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医療と宗教観  新見正則

25年ぶりの日曜礼拝

新見正則医院は飯田橋駅西口の正面にある早稲田通りを左、靖国神社方面に徒歩1分、富士見教会の目の前にあります。6階の主診察室の広い窓からは、飯田橋グラン・ブルームという高層ビルを背に富士見教会が眼下に見えます。いつもは見ているだけの富士見教会に、なんと日曜礼拝に行って来ました。

富士見教会の掲示板に聖書勉強会は毎週日曜日の9時から、その後に日曜礼拝と書いてありました。じつは全く聖書の知識がない僕ですが、ちょっと気になり訪ねてみました。勉強会の10分前に行ってみると、残念ながら勉強会はコロナ禍以降、休会中だそうです。いったん新見正則医院に戻って、日曜礼拝に出直しました。

心が豊かになるのを感じました

イギリスに滞在した5年間に、オックスフォードのわが家から徒歩数分のところにキリスト教の教会があり、何度が日曜日に参加して以来、25年ぶりの参加です。

 主の祈り、賛美歌、聖書の朗読、牧師さんからの説教となんだかとっても心豊かになる1時間でした。はじめて入った富士見教会は簡素な素晴らしい空間でした。機会があればまた参加したいと思いました。

無宗教で他宗教な僕と哲学

 僕は無宗教で、多宗教で、特別な宗教を持っていません。僕はどう生きたらよいのか、そして、どう死んでいったらよいのかという哲学的な興味があって、宗教にもここ最近興味がでてきました。当院の最近の患者さんはほとんどががんの患者さんです。再発防止の目的の方もたくさんいますが、ステージ4の患者さんも少なくありません。そして当院の世界初の抗がんエビデンスを獲得した生薬フアイアをベースにした漢方治療で、多くの患者さんに幸い良好な成績を残しています。
 
患者さんに最期が訪れるときも「希望と安心を与えること」をめざしています。そして生薬フアイアのお陰で確かに希望を最期までつなげることができるのです。本当に奇蹟が起こるからです。僕との会話で安心される患者さんも多数います。また当院の患者さんの電話相談はいつでも(夜でも祝日でも)お受けしているので、治療に対する不安や、症状に対する不安の解消には役に立っています。

生きること、死ぬこと

問題は安心と死生観です。死を迎える患者さんの心を安らかにする方法を探しているのです。なぜかというと、2013年にイグノーベル賞を頂いた研究(脳と免疫)からも推測されることですが、安心が免疫力を上げて、長生き(延命)につながるのです。ですから、長生きのために安心を与えてあげたいのです。

宗教が与えてくれるもの

 先日は空海全集を衝動買いしました。空海の死生観を勉強したいからです。その延長として仏教はがんの終末期の方の安心につながるのかに興味があります。同じように、キリスト教もがんの終末期の安心につながるのかが知りたいのです。
 
終末期医療に携わっている先生方に尋ねると、仏教でもキリスト教でも自分の人生観に合っていれば、死を迎えても安らかな人が多いという御返事を頂いています。確かに僕も患者さんでもそうです。

宗教観がなくても安心できるように

 ところが、僕のように確かな宗教観を持たない場合、同じような多くの日本人ががんの終末期を迎えたとき、どんな死生観をお話しすれば、その方々の安心につながるのでしょうか。僕にはまだ答えがありません。

今、僕はそんなことを勉強したいのです。


 


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