さくらを見て死を思う 新見正則
親に会いたいけれど会えない。悲しい父子の物語
「さくら」で思い出す場面は、映画「砂の器」。後半にオーケストラが途切れなく流れて、その音楽に合わせて、らい病の父と子が放浪の旅を続けるシーンが好きです。さくらの風景が何度も流れます。苦楽を共にする不幸な親子の旅路になぜかさくらが似合います。1974年の映画で、原作は松本清張、監督は野村芳太郎、製作と脚本は橋本忍です。涙なしに観られない傑作ですよ。
八甲田で見たことは今後一切喋ってはならない
その3年後に橋本忍が脚本を書いた映画「八甲田山」も好きです。その中にもさくらを配したシーンがわずかに出てきます。
日露戦争を控えて、寒中行軍の演習が八甲田山で行われ、青森連隊は210名中199名が死亡した惨事でした。一方で弘前から出発した27名の第31連隊はほぼ全員が10泊240kmの雪中行軍を完遂します。雪のシーンが延々と続くので、ほんのわずかなさくらやねぷたの回想シーンが心に残ります。そして生き延びた弘前31連隊の27名は2年後の日露戦争の黒溝台会戦で全員戦死するのです。
散る桜、残る桜も散る桜
過酷な状況を生き残っても、いつかは必ず死ぬのです。そう思うと良寬和尚(1758〜1831)の時世の句と言われる「散る桜、残る桜も散る桜」という句が心に刺さります。
僕の勤務場所のそばにはいつも桜の名所がありました。水戸の千波公園や水戸城址、板橋の石神井川、そして皇居の外堀などです。寒気がちょっと緩むとさくらの花の芽がだんだんと大きくなり、そしてちょっと咲き出して、一気に広がって、桜吹雪になって、残っていた桜も最後は全部散ります。さくらをみるとき、いつもこの句が頭をよぎります。
さくらのように綺麗に散りたい
僕の大学の同級生で先に亡くなった方はすでに数人います。これから順に散っていくのでしょう。そして最後は全部の花が散ります。儚いですね。
娘の小学校入学の年はさくらの開花が遅く、入学式で母と一緒に家族4人でさくらのもとで写真を撮りました。母はさくらで満開の石神井川をよく散歩していました。母は90歳までは本当に元気で100歳まで生きると思いましたが、そのあと急速に認知症が進行し、そして数年後に旅立ちました。
家族に死を話しておきたいと思う
わが家は昔から死の話はタブーではなく、食事中でもOKです。「先にもしもパパが死んだら、おばーちゃんやおじーちゃんの所で待ってるからね」といった会話になります。さくらはなぜか綺麗ですが、僕は死を連想してしまいます。
桜餅でも食べて精一杯生きよう
健康寿命尽きるまで、元気に凛としたさくらの花でいたいと思う今日この頃です。僕がここにいるのは健康を含めてすべて運と縁がなせることにて、ただただ毎日母に手を合わせながら、お祈りするだけですね。