僕のお金にまつわる話 新見正則
お金がないことを経験してる?
子どもの頃は貧乏な家でした。父の仕事が特許を基盤にした事業で、新しい契約がとれなければお金が入ってこないのです。定期的に決まった収入がある訳ではないので、苦しいときもあったようです。そんなときも母は楽天的で、いつも凛としていました。
貯金がなくてもお布施にいきます
貯金があれば少々不自由な時期もお金が回るはずです。でも貯金はなかったようです。それなのに契約金が入ると、父も母もお寺にお布施をしていました。僕からみると本当に不思議です。
その後、僕が高校生になる頃、定期収入になりました。そして僕は幸いにも予備校に通うことができました。浪人もOKでした。両親は、お金は天からの回り物と思っていたようです。
貧しい頃、「父ちゃんと母ちゃんが死んだら、どうすればいいの?」と聞くと、寺で面倒を見てもらえばいい、と言われていました。両親とも既に他界し、なぜ寺に行けと言ったのか、その真意はわかりません。お寺が理想的な相互扶助を行っていると思っていたのでしょうか。
月5万円で生活できる?
確かに、社会で支え合うシステムがあれば、貯金は不要です。僕はベーシックインカムの考え方には本当に賛成なのです。国民一人一人に、つべこべ言わずに(給付理由なく全員に)一定の金額を定期的に給付するというものです。例えば毎月5万円とかです。日本のどこかで生きられる最低限の額を給付してもらえば、生活保護も不要になります。空いている家屋を上手に活用して、そして土地を選ばなければ、月5万円でやりくりできそうに思います。
面倒な相互扶助か、厳しい自己責任か
最近は核家族です。近所とのおつきあいが希薄な状態で生活していますよね。近所とのおつきあいは面倒ですが、相互扶助を期待するならおつきあいは必要です。自分の人生は自己責任という前提に立てば、貯金をするとか、もしもの時に保険に入るとか、各個人が自分の人生の有事に備えて準備しておかなければなりません。寿命が延びると、遙か先のお迎えの日までのコストを掲載しないといけませんね。一体、いくら貯めておけばよいのでしょう。心配です。
コロナショックも1年経ちました
そしてコロナショックで1年が経過しようとしています。潤沢な運転資金を持たない企業は終わりの見えないコロナとの闘いを生き延びることができないでしょう。売上高は減っても、固定費(家賃や人件費など節約できない費用)は毎月出て行きます。企業がその負担に耐えきれなくなれば従業員は解雇されることもでてきます。
お金を自分のために使おう
こんな先の見えない世の中では、お金は貯金するより、自分の能力や技術を磨くことに投資することがベストと思っています。僕は複数の仕事や趣味を持つことを勧めています。ひとつの仕事で生き抜けるひとは稀な時代になります。そして、定年後もお迎えの日が来るまで働き続ける必要があります。
無形の財産を増やそう
いろいろな世の中の変化に柔軟に対応するには、心の準備とともに、自分の能力や技術の幅を広げればいいのです。そんな無形の財産に投資することが肝要な時代に思えます。無形の財産の中には人脈も含まれます。人を裏切ってばかりでは、いい人脈が築けません。何かあれば「ヘルプ」と頼める人が多いと救われます、そしてそんな人が救ってくれますよ。
無形の財産に囲まれて幸せに。
貯金を含めた有形資産を増やすことを否定はしませんが、なにより大切なのは無形資産です。能力、技術、スキル、知識、信頼、人脈、友人、家族、そして肉体的および精神的な健康などです。最近、妙に両親と過ごした子どもの頃を思い出します。貧乏でしたが、ある意味幸せな時間でした。