僕も発達障害だった。 新見正則
「発達障害」という言葉をちょくちょく耳にするようになりました。2005年に発達障害者支援法が施行されたこともその理由の1つです。
法律での発達障害
診断基準のお話
医学的には世界保健機関が定めるICD-11という疾病全体をカバーする診断基準と、アメリカ精神医学会が精神疾患の診断基準を定めたDSM-5があります。
DSM-5は2013年にDSM-Ⅳから大改訂されました(読みにくさに配慮して5からアラビア数字になりました)。そして、2022年にDSM-5-TRが登場しました。TRはtext revisionの略でマイナーチェンジといったイメージです。
ICD-11は世界保健機関が定めるもので2019年に採択されました。その内容は無料でWHOのホームページに公開されています。コピペして、翻訳すると誰でも全文を日本語で読めます。
ADHDに関する記述をザックリまとめました。原文は以下で閲覧可能です。
なんと、僕の子どものころの症状が当てはまる
僕が子どもの頃、当てはまっていたなという症状に●をつけました。
つまり、僕の子どもの頃は、ほとんどADHD(注意欠如多動症)の項目を満たしています。発達障害は他にもASD(自閉スペクトラム症)、SLD(限局性学習症)、DCD(発達性協調運動障害)、チック、吃音などの症状も含まれます。
発達特性が苦しみに
吃音は何より子どもの頃の僕には苦痛でした。吃音はいろいろなことを試しましたが大学卒業後まで続きました。ある時、吃音であることを隠さずに公にしようと決心してから、ぼつぼつの楽になり今日に至っています。また読字障害もありました。吃音のためもあり、書いてある書字を音読できませんでした。
そんな僕でしたが、昭和の頃は寛容で、本人は吃音がバレることが心配で(とっくにバレているのに)、不登校気味になったりしましたが、放課後に級友と遊ぶことが楽しく、なんとか通学は可能でした。
吃音で電話対応がまったくできませんでしたから、将来を思うと絶望することも多々ありました。そんな子どもでしたが、母は「一切勉強しろ!」とは言わずに、ただただ見守ってくれていました。母が死ぬ前、認知症になる前に、「子どもの頃の正則のどもりは本当に心配だった」と心情を吐露してくれて、温かく見守ってもらったのだと再確認できました。
社会の寛容が特性を支える
障害は社会とのバランスです。発達特性で不利益があっても社会で生活できれば、障害ではありません。ICD-11のADHDの項目の先頭に実は、
「学業、職業、または社会生活に直接悪影響を及ぼすほど重度で・・」
という記載があるのです。
どんなに不都合があっても、それを個性として受け入れることが、個人にも、そして社会にもできるのであれば、障害にはなりません。障害とは、その程度と社会の寛容さのバランスで生じるものと思っています。
いろいろな特性がある人が、可能な限り共存できる社会システムを作れば、障害という病気は特性に変わります。そんな寛容な社会が理想ですね。