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今日もご機嫌でいこう  新見正則


僕は楽しそうに見えるらしい

僕は多くの人からいつも楽しそうで、幸せそうですねと言われます。そんな風に見えることはとても光栄なのですが、僕だっていろいろと悩みや、不都合、そして体調不良もありますよ。

でも、何か悪いことが起こるといつもともかく「ラッキー」とまず心の中で叫ぶようにしているのです。

せっかくのお正月もぎっくり腰

年末はなんと、生まれて始めてぎっくり腰を経験しました。結構重いものを、右手を伸ばして、そして腰をひねりながら、中腰の姿勢から持ち上げた時に激痛が走りました。布団から起き上がるのも激しい痛みに見舞われ、トイレも、お風呂も激痛のなか、ボツボツと動きながら対応しました。

娘の前ではかっこよくいたい

娘には「ロボット見たい」と言われ、また「結構若いと思っていたのに、思いっきり年を取って見える」とも揶揄されました。数日で治るという期待は裏切られ、2週間でなんとか動けるようになりました。トライアスロンのトレーニングは当然にお休みです。そんな年末年始でした。

家族がやさしい。それだけでハッピー

そんな悲劇的なぎっくり腰のときも、無理矢理「ラッキー」と叫ぶのです。どう考えてもラッキーではないのですが、あえてラッキーを叫ぶと、なんとかこの辛い経験が将来役に立つように振る舞おうと思えるようになります。そして、日頃は読めない本を読んだり、ゆっくりネットを楽しんだりしました。急性期に漢方は微力でした。やはりNSAIDsは効果は抜群でした。患者さんの気持ちが本当によくわかりました。そして家族は優しくしてくれました。

自分で自分の機嫌をとってます

起こったことを悔いても起こったことは変わりません。しかし、心の持ちようと、その後の振る舞いで、その起こったことを何かの良い兆しに変化させることは可能です。そんなことをやって自分のご機嫌をなんとか維持しています。

ムッと思っても10秒ガマン

また、突然理不尽なことをされて腹が立つこともあります。僕が理不尽と思うだけで先方に悪意がないこともあるでしょう。また先方は故意に理不尽な振る舞いをしたのかもしれません。たしかに僕でも突然腹が立つことはあるのです。


怒りに任せて行動するのはソン

ともかく10秒、黙ります。じっと黙って耐えて、先方もいろいろな事情があるのだろうと思いながら、ともかく10秒待つのです。そうすると自分の怒りもそこそこ収まります。それでも収まらないときは、その怒りを分析して対応します。怒りに対して即座に反応するのは得策ではないと思っています。

そして、「人に迷惑を掛けながら生きている」と思うことが大切だと最近思っています。どんなに精一杯独力で、他人の力を借りずに生きても、どこかで誰かに実は迷惑を少なからず掛けていると思っています。そうであればいっそ、「人に迷惑を掛けながら」好きなことをやるのも悪くないと思っています。

杓子定規もソン。あえてちょっと踏み外す

勿論そこに節度はありますよ。でもあまりにも杓子定規に聖人君子のように振る舞うことは余り得策ではないと思い始めたのです。節度を保ちながら、人に迷惑を掛けて生きていくという僕自身の視点の変化が最近は少々快感に思えるのです。そんな視点の変化は1年前に対談の機会を頂いた作家の塩野七生さんとの話のキャッチボールのなかから偶然に生まれました。そして「人に迷惑を掛けながら生きている」と思うと、人に掛けられた迷惑や理不尽な振る舞いも許せるようになるのです。つまり、ご機嫌でいられるのです。

悲観的より楽天的がカッコイイ

僕の上機嫌でいるコツは、母から相当受け継いでいるように思えます。僕の幼少期は家庭が貧乏でした。しかし母は凛として生きていました。なんであんなに凛と輝けるのだろうと子どもながらに思っていました。本当に前向きな人で、ある意味楽天的でした。いろいろと僕の上機嫌でいるコツを語りましたが、一言で言えば楽天的という言葉に尽きると思います。

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