ことばの力 新見正則
質問で場を盛り上げる
最近はYouTubeでの対談が増えています。僕の役目はメインキャスター兼ファシリテーターなので、いろいろな意見がでやすくなる質問を心がけています。
まず、先方が話していることを受け入れる。これが結構大切です。一般的な会話でも、いつも「でも」や「しかし」でつなぐ人がいます。家族の会話でもそんな接続詞が頻発すると、「でも」や「しかし」はNGワードにしようと提案します。
でも、しかしは禁句に認定。
人は「でも」や「しかし」で返されると、自然と抵抗されていると感じるのです。ですから、「確かに」とか「そうですね」とかでつなぐことが大切と思っています。そして、表情も大切で、表面的に「確かに」とか「そうですね」を頻用しても、内心で否定してはそれが表に出てしまいます。まず、本心から先方の意見を聞いてあげる。それから自分の意見を添えるのがいいと思っています。
わざと理由を聞いてみるのも悪くない
僕は質問するときは、日常でもファシリテーターの立場を基本的に演じています。つまり、先方がAと言ったら、まずAを受け止めて、そして「BやCという選択肢もあるのではありませんか? なぜBやCではなくてAなのですか?」と質問を加えるように心がけています。自分がAと思っても、他の選択肢を尋ねるのです。しかし、これはできるかぎりそうするという建前の立場です。
セオリー通りの言葉じゃ心は通じない
いつも、いつも型にはまった対応をすると先方も当方の問いを先読みできるようになります。コーチングが日本に上陸した20年以上前に、そのコーチングの黎明期に僕は結構コーチングにハマりました。週末を利用したり、数泊の合宿に行ったりと熱心に勉強したのです。そこで感じたことは、型どおりのコーチングをする人はつまらないという直感でした。尋ねる言葉がいかにも「コーチング」なのです。
言葉と態度は生き物です。取り扱いに注意してね
そんな経験をたくさんして、言葉や態度は生き物で、そして相手を否定しないという立場を大切にしながら、最近は直感で質問するようにしています。こんな経験は実は医師としての診療にも役に立っています。
現代西洋医学に勝ることばの治療
僕の外来には西洋医学で治らない人が漢方を求めて訪ねてきます。ほかの先生にすでに漢方を処方されて治らないという患者さんも僕を訪ねてきます。そんな時の質問は結構大切です。患者さんの言葉をまず受け止めてあげて、そして直感で質問を投げます。そんな時に、みんなが決して投げないような質問もします。すると涙ぐむ患者さんも結構います。横に付いてくれる看護師さんが、「ほかの先生の前ではそんな話はしませんでした」と教えてくれます。そして、涙ぐんだ後に「先生から元気をもらいました!」と言って診察室を出て行く人がたくさんいます。今の僕にとって、漢方薬は道具の1つで、最大の治療道具は話術だと思っています。現代西洋医学では治らないけれど、漢方を併用すると治せる領域があるのです。
死について質問すると、どう生きたいかが語られる
僕の外来を見学に来る人が驚くのは、僕が普通に「死」の話を患者さんに投げることです。「死ねば治る」「死ぬまで治らない」「親が死んだらあなたどうするの?」などなど数えきれません。そんな「死」の会話は通常はタブーですが、直感で必要と感じた時にはそんな文言を投げるのです。そしていろいろな話をして、何故か患者さんが元気になって帰ります。そんな外来も僕の両親がすでに他界しているからできるのだと思っています。「(死ぬのは)次は僕の番だから」というフレーズをどこかに入れると、先方は怒らないのです。
どんな意見もすべてOK。正解なんてないからね
質問をどう投げるかはとっても大切です。だけどそれ以上にともかく相手を受け入れることも大切と思っています。そしてそれから、YES、NOと展開していけばいいでしょう。僕もまだまだ発展途上なのです。最近は僕の外来にも、がんの患者さんが増えています。いつも真剣勝負で臨んでいますが、どんな質問を投げようが逡巡するときは多々ありますよ。そんな時は直感で勝負しています。