小澤征爾さん、Zero to Oneの見本でした! 新見正則
小澤征爾さんの訃報に触れて
先日、小澤征爾さんの訃報がありました。88歳だったそうです。食道がんの手術をされたことは、いろいろな筋から聞いていました。ちょっと残念ですが、クラッシック一筋に生きて、たくさんの業績を残して、最期は安らかに大往生です。
誰もしていないことに挑戦する
Zero to One が大好きな僕です。小澤征爾さんは1935年生まれですから僕より二回り(24歳)年上です。戦後にアジア人として、ヨーロッパと米国を舞台にクラッシックの指揮者として活動することがどんなに大変だったかは想像するまでもありません。いろいろなバッシングを受けながら、ゼロからスタートし、絶え間ない努力を続けた姿は本当に素晴らしいです。
あとに続くひとの道しるべに
ヘルベルト・フォン・カラヤンやレナード・バーンスタイン、シャルル・ミンシュらに師事し、アジアの小国から訪れた青年が世界的な指揮者としての地位を確立していく姿は本当にZero to Oneにふさわしいです。小澤征爾さんの後に続いて、たくさんの日本人や、そして東洋人が、欧米のクラシック界に挑戦し、そして続々と成功しています。
ゼロからのスタートですから、いろいろと理不尽なこともあったでしょう。それをはねのけるパワーがゼロからスタートする人には必要です。そして影に日向に支えてくれるサポーターの存在が必須です。
小澤さん、気さくな方でした
オックスフォード大学大学院に留学当時、1993年から1998年の間に、学会でボストンに立ち寄る機会があり、ボストンハーバーが見える蠣の立ち食いレストランで家内と蠣を食べていると、小澤征爾さんが入店され、私たちの隣で立ち食いの蠣を注文しました。
気さくな人で、僕たちとの会話がはずみ「オックスフォードで移植免疫学を勉強しているの!イギリスの料理は美味しくないよね」と言われてことを覚えています。懐かしい思い出です。
メジャーリーグでのZero to One
メジャーリーグでのZero to Oneは野茂英雄選手だと思います。実は日本人メジャーリーガーの第1号は村上雅則さんですが、僕の世代では、やっぱり野茂英雄選手なのです。
僕を含めて当時は誰もが日本人はメジャーリーグではあまり通用しないだろうと思っていました。しかし、そんな門外漢の戯言とは無関係に、野茂英雄選手はメジャーリーグで輝きました。そして、その後たくさんの日本人が続いています。
Zero to Oneの道を生きる
僕はいろいろな領域でZero to Oneをやってきました。外科医でありながら免疫学を本気で勉強したり、静脈外科を普及させたり、セカンドオピニオンのパイオニアとなったりです。
最近はモダン・カンポウの啓発者として頑張っています。モダン・カンポウは漢方理論や漢方診療は不要、古典の読破などは興味がある人が行えばよいという立ち位置です。
西洋医が西洋医学的治療では治らない症状や訴えに保険適用漢方製剤で対応しようという作戦です。たくさんのフローチャート漢方薬シリーズを上梓してきました。そして多くの西洋医がモダン・カンポウ的立ち位置で、フローチャート的使い方で、西洋医学的治療では困っている患者さんの症状や訴えに対応できるようになりました。
Zero to Oneを超えて行こう!
そんなモダン・カンポウプロジェクトを展開しながら、最初の数年間は微妙なプレッシャーを感じながら過ごしました。しかし松田邦夫先生のお力で僕たちは滅びずに生き延びました。最近はモダン・カンポウプロジェクトのZero to Oneが終了した思いです。僕がいなくてもモダン・カンポウプロジェクトは自走するようになったからです。火の粉を被る僕の役割はほぼ終了しました。是非、モダン・カンポウプロジェクトにご興味がある方は、僕たちの書籍を読んで下さい。
小澤征爾さんが戦後に海外で感じたものとは比べものにはなりませんが、Zero to Oneを進めるには本当に多くの人のサポートと自分の努力が必要なのです。小澤征爾さんの偉業を讃えつつ、心からご冥福をお祈り申し上げます。