私がニューヨークで「ホームレス菓子職人」をしていた理由
お菓子を世界で売りたい
そんな夢だけを胸に、ニューヨークに渡った20歳の私は、その当時手元に5万円しか持っていませんでした。当時からニューヨークは家賃が高く、とてもじゃないですが5万円でどうにかなるものではありません。渡米したのは1995年の9月でしたが、すでにニューヨークは秋の気配があり、気温は下がりはじめていて、朝晩は半袖では肌寒さを感じる季節になっていました。
勢いでニューヨークに来てみたものの、住むところも働くところも知り合いさえもいないニューヨークで、途方にくれるまもなく、働くところと住むところを求めて動き出しました。
申し遅れましたが、私は株式会社新杵堂の新杵堂グループ代表田口和寿と申します。
私は元々、昭和23年創業の和菓子屋に生まれて、菓子専門学校を卒業してからは、東京赤坂にある老舗の和菓子屋で5年間住込み修行を経て、ニューヨークそしてパリに渡ってスイーツ職人として修行し、その後は「株式会社新杵堂」を立ち上げ、現在に至ります。
このnoteでは、「お菓子で人々を幸せにする。」ことを目指している私のこれまでの苦闘と、そこで学んだことをお伝えしていきたいと思います。
非常識な目標を掲げ、背水の陣で挑む
ニューヨークに降り立った私は、自分がどれほど無謀な挑戦をしているのかを肌で感じました。しかし、その「非常識」な目標こそが、私の心を燃やし続ける原動力でした。
「世界中の人々に日本の和菓子を届けたい」
この思いは、周囲から見れば夢物語であり、無謀な挑戦と映ったことでしょう。しかし、私はその夢を諦めるつもりは一切ありませんでした。
所持金はわずか5万円。ニューヨークでの生活費としては、数日分の食費にすら満たない金額です。住む場所が確保できず、セントラルパークのテントで夜を明かす日々が始まりました。寝袋一つで寒さを凌ぎ、食事は安いファストフードや時にはパン一つで済ませることもありました。
言葉の壁や文化の違い、そして何より孤独感が私を襲いました。「やっぱり無謀な挑戦だったかな。。」そんな後悔も頭をよぎります。しかし、「失敗を恐れず、背水の陣で挑む」ことを自らに課し、一歩一歩前進することを選びました。その時の私は、退路を断つことで、自分自身を追い込み、最大限の力を引き出すことができると信じていました。
今考えても非常識な挑戦だったと思います。ただ、その時の胸の中にあった世界への想いは、今も変わることがなく、自分の中に残っていると感じています。
働く場所を求めて
生活を立て直すため、まずは働く場所を見つける必要がありました。しかし、知り合いもいないニューヨークでは相談する相手もいません。そこで、私はセントラルパークを散歩しているお金持ちの人たちに声をかけて回りました。
「私は日本から来て、世界で一番のお菓子屋になりたいのですが、今はまったくお金もなくて、ご飯も食べられません。住むところもなく、働くところもないので、どうか助けてください!」
いきなり見ず知らずの日本人からこんな声をかけられた相手は、さぞ困ったことでしょう。
当然ですが、誰からも白い目で見られました。
それでも、100人近いお金持ちの人たちに声をかけ続けていると、ある夫妻が食べ物を分けてくれるようになり、やがてレストランへ連れて行ってくれることにまでなりました。
そうして、いろんなレストランに連れて行ってもらったのですが、その際に「この人、公園で出会ったんだけど、お金がないそうなの。でも彼はパティシエみたいなので、ここで働かせてくれない?」と言ってくれていたらしいのです。
そうしたアプローチが功を奏して、最終的には日米ハーフのアメリカ人が経営する高級レストランで受け入れてもらうことがなりました。その店は、世界中から料理人が集まるニューヨークの人気店で、メニューのないレストランでした。
その時に助けていただいた夫妻には本当に感謝しかありません。
そのレストランは、インセンティブ制度が充実していて、お客さまからホールスタッフに指名が入ったり、チップをもらえれば収入が上がったりする一方、評判が悪いスタッフはクビになるような制度がありました。
「シビアだけどやりがいがある」そんなカルチャーショックを感じながら、私は、飲食業のメジャーリーグに飛び込んだような気持ちになりました。
そうして、やっと働く場所を確保できニューヨークでの生活がスタートすることができたのです。給料は安く、生活は相変わらず厳しいものでしたが、自分の作ったスイーツを提供できることに喜びを感じていました。
ありえないチャレンジが化学反応を起こす
その後、5年間のニューヨークでの修業を経て日本に帰国し、さまざまな出会いに恵まれて、現在に至るわけですが、その第一歩は無謀とも言えるニューヨークへのチャレンジでした。
その後も、すべてが順調だったわけではありません。和菓子は日本の伝統的なお菓子であり、繊細な味わいや見た目の美しさが特徴です。しかし、当時のアメリカではその良さがなかなか理解されませんでした。甘さの控えめな味に物足りなさを感じたり、見た目のシンプルさが地味に映ったりすることもありました。
そこで私は、現地の人々の嗜好を研究し、和菓子の伝統を守りつつも、新しいアレンジを加えることに挑戦しました。鮮やかな色彩の和菓子や、これまでにない食材を取り入れた新しい味わいのものなど、試行錯誤を繰り返しました。
そんな時にニューヨークの友人から「これを作ったらニューヨークで売れる」と一枚の絵コンテが送られてきました。
それが「7色のレインボーロールケーキ」です。
ロールケーキなのに7色!
普通に考えるとこれはありえないでしょう。
社内でこのアイデアを説明すると、「こんなものが売れるわけない。派手だし、食欲がわかない」と言われてしまいました。
ですが、私が「世界中の友人からアドバイスを聞いて、まずはやってみよう」とメンバーを説得し、実際につくってみることにしました。そして、ニューヨークと韓国で販売したところ、月に3万本も売れる新杵堂のヒット商品となりました。
こうした新しい試みに対して、周囲からは「そんなのは和菓子ではない」「伝統を壊すな」と批判されることもありました。しかし、私は失敗を恐れずに挑戦し続けました。大切なのは、和菓子の心を伝えることであり、そのためには形や素材に柔軟性を持たせることも必要だと考えたのです。
その結果、徐々に多くのお客様から支持を得るようになり、和菓子がニューヨークの食文化の一部として受け入れられていきました。
ありえないチャレンジが、ありえない成果を生むことにつながったのです。
非常識な目標からしか得られないもの
「世界で和菓子を売る」という目標は、ニューヨークに渡った当時の私にとって、途方もないものでした。しかし、その非常識な目標があったからこそ、常識にとらわれない発想や行動が生まれたといえます。
振り返ってみると、ニューヨークでのホームレス生活は、私にとって「背水の陣」そのものでした。逃げ道を断ち、全力で目標に向かって突き進むことで、自分自身の限界を超えることができました。安定を求めて安全な道を選ぶのではなく、あえて厳しい環境に身を置くことで、人は本来の力を発揮できるのだと実感しました。
その後も、事業を進める中で数々の壁にぶつかりました。資金繰りの問題、現地の法律や規制への対応、人材の確保など、多くの課題が山積みでした。特に資金面では、何度も銀行から融資を断られ、投資家からも相手にされないことが続きました。
それでも、諦めずにプレゼンテーションを繰り返し、自分の熱意とビジョンを伝え続けました。ようやく理解を示してくれる投資家と出会い、資金調達に成功したときは、涙が溢れました。
失敗は成功へのプロセスだ
失敗は成功へのプロセスであると、私は信じています。一つ一つの失敗から何を学び、次にどう活かすかが重要です。失敗を恐れて挑戦しなければ、何も得ることはできません。実際、私の事業も数々の失敗を乗り越えてきましたが、その度に組織としても個人としても成長することができました。
非常識な目標を掲げることで、自分自身だけでなく、周囲の人々の意識も変えることができます。私の挑戦に共感してくれた仲間たちと共に、新しい市場を切り拓くことにもつながりました。
挑戦にはリスクが伴いますが、その先にある達成感や喜びは何ものにも代えがたいものです。自分の限界を超え、新しい世界を切り拓くことで、人としても大きく成長することができます。
次なるステージへ
現在、新杵堂は世界中で事業を展開し、多くの方々に日本の和菓子を楽しんでいただいています。しかし、私の挑戦はまだ終わっていません。「お菓子で世界の人々を幸せにする。」ことを目指して、品質の向上や新商品の開発だけでなく、環境への配慮や社会貢献活動にも力を入れていきます。持続可能なビジネスモデルを構築し、次世代に誇れる企業でありたいと考えています。
最後に、この記事を読んでくださっている皆さんにお伝えしたいことがあります。それは、「非常識な目的を掲げて、失敗を恐れず、背水の陣で挑むことの大切さ」です。安全な道を選ぶことも一つの選択肢ですが、大きな夢や目標に向かって全力で挑戦することで、想像を超えた未来が開けていきます。
困難に直面したとき、逃げ道を探すのではなく、あえて自分を追い込むことで、新たな可能性が見えてくるはずです。私の経験が少しでも皆さんの参考になれば幸いです。
これからも新杵堂は、新しい挑戦を続けてまいります。和菓子を通じて世界中の人々に喜びを届け、日本の文化を発信していくことが私たちの使命です。
皆さんもぜひ、自分の夢や目標に向かって一歩踏み出してみてください。非常識な目標を掲げ、失敗を恐れず、背水の陣で挑むことで、きっと素晴らしい未来が待っているはずです。
新杵堂グループ代表
田口和寿
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