田口和寿@新杵堂社長

株式会社新杵堂 代表取締役社長 兼 新杵堂グループ代表。夢は「お菓子で人々を幸せにする」。 著書「非常識 社長業 一万回断られても10,001回目に成功させる」

田口和寿@新杵堂社長

株式会社新杵堂 代表取締役社長 兼 新杵堂グループ代表。夢は「お菓子で人々を幸せにする」。 著書「非常識 社長業 一万回断られても10,001回目に成功させる」

最近の記事

お菓子業界もDXが必要な時代です

こんにちは。新杵堂の田口和寿です。 お菓子作りと聞くと、皆さんはどんな光景を思い浮かべるでしょうか? 和やかな職人たちが手を動かし、甘い香りが漂う工房――そんな情景が浮かぶ方も多いかもしれません。しかし、今この業界には、甘い香りとは別の「未来への挑戦」の空気が流れています。 DX――デジタルトランスフォーメーション。 かつてはIT企業や大手製造業だけが関係する言葉だったこのDXが、今やお菓子業界に押し寄せています。AI、機械学習、データ分析、IoT……これらをどう取り入れる

    • 世界につながる仲間を増やすM&Aとは?

      こんにちは、新杵堂の田口です。 「お菓子で人々を幸せにする」 この使命を掲げて、私たちは長年にわたり和菓子の可能性を追求してきました。しかし、世界が大きく変化する中、次のステージに進むには一つの企業だけの力では限界があります。 そのため、私たち新杵堂は「仲間」という存在が、未来を創るための欠かせない要素だと考えています。だからこそ、M&Aを単なる「買収」や「統合」ではなく、「仲間を増やして、一緒に未来に挑む」という活動として捉えています。 その挑戦の中で、新杵堂が大切

      • 私が栗に込めた「約束」と「信用」

        こんにちは、新杵堂の田口です。 新杵堂が大切にしている「栗きんとん」。 これは、ただの和菓子ではなく、私たちの歴史や想いが詰まった逸品です。 今日は「なぜ栗なのか?」という新杵堂の原点について、少しお話しさせていただきます。 戦後の祖父が選んだ「栗」という素材 新杵堂の始まりは、祖父が中国から大分県の臼杵町に戻ってきて、和菓子屋を始めたことから始まります。 当時は物資が不足していたため、砂糖も簡単には手に入りませんでした。 祖父は、「砂糖に代わるものがないか」と模索し

        • ハワイで「あなたはどうしたいの?」と聞かれてハッとした話

          世界でビジネスするには考え方の多様性を受け入れる こんにちは、新杵堂の田口和寿です。 私はこれまで、世界中の皆さんに和菓子を届けたいという夢を抱き続けてきました。そして、その挑戦を続けている中で、気づいたことがいくつもあります。その中でも特に大きな気づきが、「考え方の多様性」を受け入れることの大切さです。 最初は「和菓子で世界を驚かせたい」という一心で突っ走っていましたが、実際にはそう簡単にいかない現実が待っていました。 アメリカに進出する中で、現地の文化や人々の考え方

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          こんにちは、新杵堂の田口です。   新杵堂は、和菓子やロールケーキを作り続けてきた企業としての歴史を持っていますが、私たちが目指しているのはそれだけではありません。単なる和菓子屋という枠を超え、「ライフスタイルエンターテイメントカンパニー」として新たな価値を生み出し、世界に驚きと感動を届けることを目指しています。 今日は、どうして私たちが「ライフスタイルエンターテイメントカンパニー」を目指しているのか、その理由をお話させてください。 和菓子を超えた挑戦への一歩 新杵堂は

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          私がニューヨークで「ホームレス菓子職人」をしていた理由

          お菓子を世界で売りたい そんな夢だけを胸に、ニューヨークに渡った20歳の私は、その当時手元に5万円しか持っていませんでした。当時からニューヨークは家賃が高く、とてもじゃないですが5万円でどうにかなるものではありません。渡米したのは1995年の9月でしたが、すでにニューヨークは秋の気配があり、気温は下がりはじめていて、朝晩は半袖では肌寒さを感じる季節になっていました。 勢いでニューヨークに来てみたものの、住むところも働くところも知り合いさえもいないニューヨークで、途方にくれ

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