「都市と建築と音楽」─『ジェイン・ジェイコブズ:ニューヨーク都市計画革命』公開記念トークイベント(カズ・ヨネダ× 川﨑昭)レポート
都市は万人に何かを提供できます
でもそれは、
万人によってつくられた時だけです
─ジェイン・ジェイコブズ
4/28より都市活動家・作家であるジェイン・ジェイコブズのドキュメンタリー映画『ジェイン・ジェイコブズ —ニューヨーク都市計画革命—』の公開が開始された。著書『アメリカ大都市の死と生』で知られる彼女は、ひとりの市民としてニューヨークの急速な都市開発からコミュニティを守るため奮闘した。本作では、ジェイコブズがどのように活動したかを記録映像や肉声を織り交ぜ、彼女に迫っていく。
映画公開を記念して公開講座が行われた。第1回では建築史・建築批評家の五十嵐太郎氏、コミュニティデザイナーの山崎亮氏を迎え、
今回レポートする第2回では建築家のカズ・ヨネダ氏、音楽家/mouse on the keysの川﨑昭氏を迎え、「都市と建築と音楽」をテーマに、ジェイコブズが活動した時代背景や社会背景、同時代の音楽シーン、現代の建築や音楽について語った。本記事ではその内容をレポートする。
目次
●「コイン」の表と裏─「対話」の重要性
●音楽シーンを取り巻く「抵抗」の歴史
●音楽と建築、現代へと─革新と一般・商業化の振り子
●新しい時代へ向けて─「組み合わせる」「ぶつかり合う」こと、理論と実践
左:カズ・ヨネダ氏. 右:川﨑昭氏.
「コイン」の表と裏─「対話」の重要性
本作はジェイコブズと当時のパワーブローカー/ロバート・モーゼスの対立を軸として物語が展開される。カズ・ヨネダ氏は本作の感想についてこう語った。
カズ・ヨネダ(以下、カズ) 物語としては多様性を掲げており、自分もそれが大事だと思う。一方で映画の構成自体はジェイコブズvsモーゼスという二項対立で描かれており、極めてモダニズム的なのがアンビバレントで面白い。しかし、だからこそ、映画で描かれているモーゼスは「悪」、モダニズムは「悪」ではなく、モーゼスがなぜそうしたか、など社会背景・時代背景を知る必要があります。モダニズムには建築家/ミース・ファン・デル・ローエの「ラファイエットパーク」のような集合住宅の成功事例もあります。分かりやすい映画になっている分、鑑賞するときには注意が必要ですね。
日本人の両親を持ちながらアメリカで生まれアメリカで教育を受けたアメリカ人であるKaz米田氏。日本とは異なるアメリカの教育・議論のあり方を経験してきた。
カズ アメリカの教育現場の考え方は「コイン」。つまり表も裏も見た上で議論する。そして、日本と違ってアメリカの議論は喧嘩から始まる(笑)。今回の映画もそうでしたね。時代の流れを見れば、そうした議論から結果的に「ニューアーバニズム」の考え方などが登場する。
この映画を観て感じたのは、建築にとっても都市にとっても重要なのはやはり「対話」だということですね。モーゼスのやり方は正しくなかった、しかしジェイコブズのやり方も100%正しいわけではない。ジェイコブズとモーゼスにも十分な「対話」があればよかったのにな、と思いました。
音楽シーンを取り巻く「抵抗」の歴史
一方、音楽家として世界を股にかける川﨑昭氏は、ジェイコブズが抗い、自分たちの都市を守り、新しい時代へ繋いだように音楽にも「抵抗」の歴史があると都市と音楽の共通点を語る。
川﨑昭(以下、川﨑) たとえば、1970~80年代にニューヨークは財政難から治安の悪化が進み、裕福な白人層が郊外に流出しました。結果として荒廃した都市に残された白人貧困層の中からAGNOSTIC FRONTに代表されるニューヨーク・ハード・コア・シーンが生まれ、黒人貧困層の住むブロンクスなどからヒップホップカルチャーが生まれました。このように歴史を見ていくと、荒廃した都市から刺激的で新しい音楽が生まれてくることが多いですね。
音楽は荒廃した場所で状況に抗おうとした人びとから生まれる。どんな文化にも影響を与えた時代背景や社会背景が存在している。そして、ジェイコブズの活動した時代はまさに「反対運動」が盛んな時期だった。
川﨑 1950年代のアメリカ国民は、政府に対して従順でしたが、1960年代は、戦後ベビーブーマーたち若年層が影響力を持ち始め、体制への異議申し立てが始まります。1961年のアイゼンハワー大統領退任演説において、軍産複合体が国家に影響を与える事が告発されました。1968年、若者のヒーロー的存在であったジョン・F・ケネディ大統領が暗殺され、国民の権威に対する不信が決定的となります。同時期に反戦運動、公民権運動やフェミニズム運動などが活発化していくわけですが、つまり、ジェイコブズの活動もこうした「抵抗の意識」が芽生え始めた社会背景や時代背景が追い風となって、モーゼスに対抗できたのではないかと思います。
当時の音楽的事件として、1964年にザ・ビートルズの全米ツアーの成功があります。それまでショービジネスの本場アメリカでは、本国のアーティスト以外は評価されませんでした。さらに、ビートルズのリンゴ・スター以外のメンバーは、白人社会の中でも差別されて来たカトリック系アイリッシュのルーツを持ち、黒人によって生み出されたリズム&ブルースを取り込んだ音楽性を武器に、プロテスタントの国アメリカで成功をおさめた。彼らの成功の裏にこうした階級闘争があるわけです。ちなみにケネディもカトリック系アイリッシュであり、歴代大統領の中で唯一カトリック教徒です。1960年代は、このように抑圧されてきた市民の反抗・抵抗の時代なんですね。
この話を受け、「ニューヨークは特にさまざまな人種がいるからこそ、そうした運動が顕著だったのだと思います」とカズ氏。
カズ ジェイコブズが関わった「グリニッジ・ヴィレッジ」もまさにあらゆる差別問題の中心だったマンハッタンにおいて格差社会やセクシャルマイノリティー差別の中心的な場所でした。
ジェイコブズが活動した時代には、その背景にあった社会問題の関連があり、それが文化や抵抗運動を生み出していた。そして、モーゼスのようにすべてを綺麗にするだけでは新しい文化が生まれることはない。
川﨑 1970年代のストリートカルチャーは社会的には底辺と呼ばれるような場所から生まれました。モーゼスが行なった施策のように都市が整いすぎると、地価が上がり、お金を持っていない芸術家は住む場所を失ってしまうでしょう。
都市と音楽、建築と音楽、一見関係がないように思えるこれらの文化は、ある社会背景・時代背景を共有している。
そして、ジェイコブズが述べるように都市は貧富や人種関係なく万人によって成り立っている時にこそ、万人に何かを提供するのだということが映画を通して感じられた。
音楽と建築、現代へと─革新と一般・商業化の振り子
では、ジェイコブズやモーゼスが生きた時代とはまた違う状況を迎えている私たちの時代はどうなのだろうか?
川﨑 まず1960年代以降、アンダーグラウンドな動きが次の時代のトレンドに発展するというサイクルが繰り返されてきました。
ニューヨークを例に挙げると、マンハッタンのバワリー315番地にあったライブハウス・CBGBは、パンク、ニューウェーヴやハード・コア・パンクの実験場であり、セックス・ピストルズなどのロンドン・パンクや1980年代のオルタナティブミュージック、さらにはニルヴァーナなどの1990年代グランジブームの土台をつくりました。マンハッタンのキングストリートの伝説的ディスコ、パラダイス・ガラージは、現代のクラブミュージックに多大な功績を残し、その後のマドンナの活躍を用意しました。1984年ニューヨークで設立された名門ヒップホップレーベルDef Jam Recordingsはヒップホップを広く世に知らしめ、レーベルからは、パブリック・エネミー、ビースティー・ボーイズ、RUN-DMC、L.L.クール.J、Jay・Zの大スターを多く輩出しました。
しかし、90年代後半~00年代初頭にかけてこれらの劇的な動きが止まったような状態になりました。
なぜか?貧困地区ブロンクスから生まれたはずのヒップホップアーティストであるJay・Zはいまや総資産900億円を数える億万長者になり、EDM系のDJでは年収が40億円を超えるアーティストもいるようです。これはマイノリティーから生まれたはずのカウンターカルチャーがメインカルチャーになったことを表しています。
カウンターカルチャーとして生まれたヒップホップやロックがメインカルチャーとして共有されている現代。そこには革新と一般化・商業化が振り子のようにサイクルしており、それは建築にも言えることだとカズ氏は語る。
カズ 建築では、モダニズムの後、ポストモダニズムを迎え、その後はネオ・モダニズムと言われることがあります。音楽シーンについても共通していると思いますが、建築の世界では1995年を境にして、今の時代をなんと呼んでいいかわからない、という状況になっています。ドグマが必要だとは思いませんが、少なくとも時代を表す言葉は必要だと思っていて、現在はそれを見つけられていない状況です。モダニズム以前のプレモダンの時代にも同じような状況がありました。その時にはネオ・クラシカル、ネオ・バロック、ゴシック・リヴァイヴァルなどかつての建築様式の装飾が氾濫していました。それを打ち壊したのがある意味モーゼスが引用していたモダニズムの思想だったんです。
新しい時代へ向けて─「組み合わせる」「ぶつかり合う」こと、理論と実践
なんの時代と言っていいかわからない。そんな茫漠とした時代に建築や音楽をどう考えるか。川﨑氏は建築と音楽の意外な共通点からその糸口を紡ぎ出す。
川﨑 建築に「オーダー」(古典主義建築の基本単位となる柱と梁の構成を指す。一般的にはトスカナ式、イオニア式、コリント式、ドリス式、コンポジット式の5種類がある)があるように音楽にもイオニア旋法やドリア旋法と言う音階があります。たとえば、『君が代』はドリア旋法が使われています。マイルス・デイヴィスの『So What』などもそうですね。ドリア旋法は長調でも短調でもない不思議な響きがします。このように音楽はひとつの音列によって世界観をつくり出します。音楽は建築と同じく、すごく構築的なものなんですね。これは8~16世紀にグレゴリオ聖歌などに使われていた教会旋法と呼ばれるものです。
その後、クラシック音楽は基本的に長調と短調で構成され、ピアノは1オクターブ12個の鍵盤からなり、真ん中のド音の上のラ音の周波数を440ヘルツに調律するようになります。ロックやジャズ、ポップスなどもこうした西洋クラシックのシステムを基礎として成立しているんです。しかし、この西洋クラシックの長調と短調以外の世界観の音も入れ、さらに複雑になっているのが現代の音楽と言えます。ロックやJポップにしても、ひとつのキーだけではなく転調したり、さきほどの教会旋法と機能和声を混ぜたりします。また、違うリズムを並行して走らせる「ポリリズム」やヒップホップやテクノミュージックではドアの閉まる音など自然音を取り入れる「サンプリング」という手法も使います。プログラミングによって自動生成されたリズムを使う作家もいます。
つまり、これまでの常識になかったやり方で音楽が実験的につくられている。音楽の世界でも何と呼んでいいのか分からない時代が到来しているんです。
川﨑 これからの時代には過去にある様式や整っているものもともと混沌としていたものがブレンドされぶつかり合い、また新しい組み合わせ方が発見され、それが洗練され、また新しい方法論になっていくのではないかと思います。
これまで積み重ねられてきた常識を打ち破り、新しい時代のあり方を模索する。そのためにさまざまな手法が試みられている。これは建築でも共通しているとカズ氏は話す。
カズ 建築の世界では現在「オブジェクト指向存在論」という考え方が有力なセオリーの一つとして広まりつつあります。
これはオブジェクト、つまりいろいろな個体は、絶対にその全貌を顕在化していない上、人間を含めた個体同士がお互いの本質を網羅し得ないというところから始まります。オブジェクトの本質は、人間の範疇からいつも乖離している訳です。
言い方を変えると、今までの存在論を語る上で優位性を占めてきた人間中心的なものの捉え方が真っ向から否定されてきたんです。すると、人間の想像枠という箍が外れた新しい個体の組み合わせから新しい発見やズレを見出していくある種のコラージュ主義のようなものが台頭してきているのです。
その考え方の根底にはおそらくCADやコンピューテショナルデザインの発展と共振している部分があります。
コンピューテショナルデザインは1990年代から普及し始め、この時代には横浜の「大さん橋」という建築が実際に生まれていますね。1990年代から試みられていたコンピューテショナルデザインと現在の最大の違いは、それがオープンソース化されていることです。コンポーネントなどがすぐに手に入る時代だからこそ、それを自分たちの中でアレンジして、結果を見る、ということが現在では行われているんですね。それが「オブジェクト指向存在論」に繋がっているのでしょう。
しかし、もはや実験している場合ではありません。
モーゼスは理想を追いかけた、つまり「理論」の人でした。しかしこれからは「実践」、つまりジェイコブズのように地に足ついた活動を行い、建築は社会のために何が必要なのかを真剣に考えなければいけない時代にきているんだと思います。
ジェイコブズが活動した時代における建築や都市、音楽の共振から始まり、話は現代へと。建築と音楽、どちらの世界も新しい時代をつくるためさまざまな模索がされていることがわかった。ジェイコブズやモーゼスが新しい時代へ向かうため、さまざまな試行をしたように、私たちは彼・彼女らを模倣するのではなく、彼・彼女らのバックボーンを理解し、そこから学び、新しい時代へ進まなければならないのだと感じた。
(2018年5月4日、ユーロスペースにて 執筆:新建築社デジタルコンテンツ事業室)
映画概要
1950年代のNYで、ダウンタウンの大規模な再開発を阻止した一人の女性がいました。 都市論のバイブルといわれる「アメリカ大都市の死と生」の著者、ジェイン・ジェイコブズ。
彼女は、ダウンタウンに住む主婦で、ジャーナリスト。
建築や都市計画については、ほとんど素人でしたが、その天才的な洞察力と行動力で、近代的な都市計画への痛烈な批判とまったく新しい都市論を展開し、ユニークな市民運動を組織しました。
本作は、当時の貴重な記録映像や肉声を織り交ぜ、“常識の天才”ジェイコブズに迫った初の映画です。
都市は誰がつくり、誰のためにあるのか?
私たちが暮らす街の未来を照らす建築ドキュメンタリー!