春の嵐。
「ねー、いくえねえちゃん。」
三十以上歳の離れた姪孫がわたしを「おねーちゃん」と呼ぶ。
「なに?どうしたの?」
「さっきねえ、急に雨が降ったでしょう?」
「そうだね、大雨だ。」
「あれは、春の嵐なんだよ。僕は知ってる。」
「…確かに春の嵐だね。」
天からの恵の雨が田畑を潤す穀雨の頃、
まるで台風のような突風と雨が降る日がある。
わたしの母はその時期の天候を
『春の嵐だわ。』
と呼んでいるので彼女のひ孫にあたる
姪孫も、そのままその言葉を覚えたのだろう。
実際に「春の嵐」というのは、暖かくなる三月から五月にかけて低気圧が急速に発達して台風並みの暴風や猛吹雪が吹く季節を指す。
気象変化をドラマティックに彩る
「春の嵐」
という言葉を年端のいかない子どもが
口にするのを聞いて、言葉というものも
血と同じように子孫に受け継がれていくのだと
感じ入る。
亡くなった祖母は戦争の影響で、尋常小学校しか
出ていない人だったけれど。
学ぶ事に貪欲な人で、仕事をしながらいつも
何がしか勉強をしていた。
そんな祖母から受け継いだ言葉がいくつかあるが、一番印象的なのは
「女に国なし。
わたしの娘よ、女は七つの海を渡る。
渡った先があなたの故郷(国)となる。
人生を切り拓いて行きなさい。」
というものだ。
女は嫁ぐものという考え方が旧式な考え方だとしても何の運命の悪戯か異国に嫁ぐことになった
自分の娘に贈った言葉として、大変ドラマティックで気に入っている。
祖母はふたりの娘を産み、
一人は籠の外に放ち
一人は籠の内から出さなかった。
それもまた「運命」という縁のなせる業で、
それぞれの適正に応じた祖母なりの選択だった
のではないか?
と年齢を経て思うことがある。
何れにしてもどの場所にいる運命でも、
それを楽しめているかが大事だということは、
私自身の人生にも当てはまることなのだ。
大地に恵の雨がもたらされる穀雨の時期。
わたしは自身の人生後半への種まきをどれくらい
出来るかを真剣に考えている。