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編集後記:マルグリット・デュラス『愛人 ラマン』を書き写した頃の記憶


 最初に小説を書いたのは、たぶん大学の時です。

 当時ちょっとしたミニシアターブームがあって、僕はそれまで好きだったハリウッド映画を突然見なくなり、ミニシアターに足繁く通って、ヨーロッパや中国、日本も含めたアジアの映画をたくさん見るようになったのです。かなりマニアックな映画にハマって、映画の雑誌を毎月買ったりして、映画の世界に浸るようになりました。

 好きな映画を見つけると、本屋に行って、その原作本まで買って読むようになりました。やがて、自分でもそんなロマンティックな物語を作ってみたいと、外国の作家の翻訳本の文体を真似た自作の小説まで作るようになります。シナリオも作ったりしていました。当時の夢はいつか自分の作品を映画にすることでした。

 でもすぐに挫折をしてしまいます。書いてる間は気持ちが入っていて、すごく楽しいのですが、一日、二日置いて自分の文章を読み直すと、その混乱して散らかりまくった自分の文体にうんざりとして、絶望的な気持ちになってしまうのです。

 面白いと思って作ったストーリーも読み直すと、ちっとも面白くない。考えてみると、ちゃんと文章の勉強もしたことがないのに、いきなり小説を書こうなんて無理があるんだという結論に達します。それで小説の書き方本や文章の書き方本を買ってきて読んだりしました。でも全く、状況は改善しませんでした。情熱ばかり先走って、書けども書けども文章は混乱していくばかりです。

 その後、書くのをきっぱりやめてしまったのですが、大学の卒論を書く頃、また、小説やシナリオ作りへの思いが強くなってきます。あれから、時間も経ったしと、もう一度、始めてみることにしました。でも、やっぱり結果は同じでした。

 悩んでいる最中、何かの本で、好きな人の文章を真似したり、書き写したりすると、上手くなるというようなことを読み、藁をも掴む気持ちで、好きな作家の小説や映画原作の小説の書き写しをするようになります。そんな書き写しの作業の中で、すごく影響を受けたのが清水徹さんが訳したマルグリット・デュラスの『愛人(ラマン)』でした。

 プロの小説家のようなかっこいい文章を書こうとすると、どうしても小難しい内容の文章になってしまうことが多かったのですが、この『愛人(ラマン)』の翻訳本の文章は、やけにひらがなが多くて、シンプルで、すごく読みやすい内容だったのです。小難しい表現は何一つ出てこないのですが、まるで映像を見るようにロマンティックで、情景的で、かつセリフや語りの口調が素敵なのです。文章から登場人物の像だけでなく、書き手の像までが浮かんでくるような不思議な文体です。

 作品では1920年代のフランス領インドシナを舞台に、現地で暮らすフランス人少女と、裕福な華僑の中国人青年の不思議な交友、性体験が描かれます。回想録のような語りの文章で、デュラスの自伝的な物語が綴られます。

※映画『愛人 ラマン』より

 多感な時期を迎えた主人公のフランス人少女は自身の家庭環境や、大人になる過程、成長の過程で失われていく過去の自分と今の自分のギャップに葛藤を抱えるようになっています。そんな折、好奇心から白人ではない中国人、アジア人の裕福な青年と出会い、彼に、どこか侮蔑の目を向けながらも、望まれるまま、彼の愛人として、彼の恋人として、共に時間を過ごすようになるのです。
 
 冒頭、老いた主人公と、やはり今は老人となった中国人青年の再会の場面から物語が始まります。老いた彼女を見ると、彼は「若い頃の顔より今の方がお美しい、嵐のとおりすぎたそのお顔の方が」と彼女に声をかけます。この印象的なセリフから、グッと心を掴まれて、物語の世界に引き込まれていきます。

“メコン河を一隻の渡し船が通ってゆく。
その映像(イマージュ)は、河を横断してゆくあいだじゅう、持続する。
私は15歳半、あの国には季節のちがいはない。いつも同じひとつの、暑い単調な季節、ここは地球上の細長い熱帯、春はない、季節のよみがえりはない。”

“リムジンにはとても上品な男が乗っていて、わたしをじっと見つめている。白人ではない。ヨーロッパ流の服装、サイゴンの銀行家たちのような明るい色の絹紬(タッサー)のスーツを着ている。わたしをじっと見つめている。わたしはもう男のひとからじっと見られるのに慣れている。植民地の男たちは白人の女たちをじっと見つめる。白人の十二歳の少女たちのことも”

 印象的な文章はたくさん出てくるのですが、暑いサイゴン(現在のホーチミン)の空気感を描写した文章や、リムジンの後部席から、少女を物色するように見つめる男との出会いのシーンの描写などを、まるでエロいものでも見るかのように興奮しながら書き写したのを今でも覚えています。文章の巧みさ、表現のうまさに興奮したのです。

 映画の原作となった翻訳小説を他にも何作か書き写したりしました。ジェームズ・M・ケインの『郵便配達は2度ベルを鳴らす』や、マイケル・オンダーチェの『イギリス人の患者』、陳凱歌の『花の影』、ジェームズ・ラスダンの『シャンドライの恋』など。今思い出すと懐かしいです。最初にようやく人前で小説を発表できたのは大学卒業後の二十六歳くらいの時です。小説の同人誌に入って、出した短編が最初です。

 結局、自作の小説を書くと、自分の言葉に立ち返らないといけないので、文体や語りまでは吸収できないし、その人にはなれないのですが、短くシンプルな描写でパッとそのシーンの情景や、人の心情を表現する手法をなんとなく、これらの翻訳小説の書き写しで勉強できた気がします。官能小説を書くにあたっても、そういった経験から、何冊かの官能文学を書き写したりして、官能小説のリズムのようなものを勉強したりしました。

 自作小説のメイキングについてはまた編集後記という形で紹介していきたいと思います。

(了)

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