愛しのねこぴ
こちらでもチラッと書いたけど、また書くね。
私が小学生に上がった頃、父親がお客さんに「猫ちゃんどうです?飼いません?」と持ちかけられ、そのまま我が家は2匹の猫ちゃんをお迎えすることになった。
それから21年と半年以上の月日が過ぎ、先日、2匹の猫様たちは天寿を全うしこの世を去った。
猫たちの生きれなかった今日を私が生きていいのか、猫たちと生きていない今日の私に生きる意味はあるのか...
🐈🐈⬛💫
お家に来るまで
一人目は、茶白トラの日本猫♂で、野良猫ママが「子供を産んだのですがどうか安全なお宅で育てていただけませんかね?」と、子猫数匹を連れてそのお客さんのお庭にやってきたらしい。
お客さんが子猫たちを家に保護しても、野良ママちゃんは子供たちが保護されることに抵抗はなかったと聞いた(むしろ思惑通り?)。
そのまま野良ママちゃんもと保護しようとしたが、それは頑なに嫌がったそうだ。
随分気の強い母猫だったらしい(笑)。
自分が人に飼われるのは拒んだものの、定期的に庭に現れ子猫たちの様子を見守っていたとか、私は人伝いで聞いただけだから確かなところは分からないけど。
猫を飼うことを決め、父親がどの子にするかをお宅訪問した際、さば柄やさび柄の子たちがいる中、一名明るい茶色で目立ってる子がいて、ウッド調やベージュ系が好きだった父親はすぐその子にすると決め、「くり」と名付けた。
そして、猫を飼うには、みたいな話が進み、なんやかんやありペットシッターさんから、「飼えるなら1匹より同い年くらいの子たちとの多頭飼いがいいですよ(遊び相手や無人空間への慣れなど)」とアドバイスを受け、もう1匹迎え入れることになった。
それも(多分)探していたわけでなく、お店で「猫飼うことになったんですよ」という話をしているうちに、また別のお客さんから「うちでも最近子猫が生まれましてね、」とでも言われたのだと思う。
そして二人目として、白黒(ところどころ茶色)のノルウェージャンフォレストキャットの子猫ちゃん♂をお迎えした。
この子のお迎えは、私も事前にそのお客さんのお宅に伺い、「あいしちゃ〜ん、どの子にする〜?」と、その家のマダムに言われ、この子にする、と真っ白い子を指差した記憶がある。
だから、お迎え当日、我が家にやってきた子が黒っぽい子で、「あれ?」となったのを覚えている(いや結果的にはこの子が来てくれて良かったのだけど)。
私の指した子を勘違いしたのか、マダムは手元に真っ白い子は置いておきたかったのか。
よくわからぬ宗教に入ってた(らしい)マダムのことなので、何となく後者な気もする。
今回は私に命名権があったのだが、まだ大した知識もない私は、猫はひなたぼっこが好き、という情報だけで「ひな」という名前を選んだ。
それもそのマダムに伝わった時には「え?」という顔をされたらしい。
(そのお宅では一応全猫に洋風のエレガントな名前を付けていた)
大丈夫、のちに知識を身につけた私がエレガントすぎるあだ名を付けまくるから。
猫たちとの思い出
ハードタイプのキャリーケースから小さな毛玉がぴょこっと飛び出した。
毛玉はリビングをとてとて走ってはあらゆる物陰にじっと隠れていた。
知らない場所に連れられ、警戒していたのだと思う。
まだ顔が耳より小さく幼かった。
私はただその毛玉と遊びたく、どこに隠れたかを探して、ちょんちょんちょっかいをかけてはまた探して、を繰り返していた。
シッターさんが「猫はトイレを置いておけば自然とそこがトイレと認識するから」と言っていたが、本当に置いておくだけでそこをトイレとして使い始め、猫はすごかった。
猫じゃらしやネズミのおもちゃでたくさん遊び、投げては取ってくるという犬っぽい遊びもしていた。
キャットタワーを取り付け、壁の上にも猫が飛び乗れるよう棚を付け、リビングの全てが猫様の遊び場となった。
人間の寝室も、時々猫たちの遊び場、そして業者が来た時の避難所になっていた。
私の部屋はログハウスのような木の作りになっていたのだが、今も猫の爪痕がたくさん残っている。
私が風邪やインフルなどで寝込んだ時は、寝ている毛布の上に必ず猫が乗っていた。
看病をしてくれていると言うより、いつもよりモコモコになった毛布が気持ちよかったのだと思う。
たまたまスルメイカを食べた手でペンを持ち勉強をしていると、その手に擦り寄ってくることもあった。
基本的に人懐っこく、家に来る人に擦り寄って行くことが多かった。
交換留学生が泊まりに来た時も、彼氏を連れてきた時も、猫たちは接待をかましていた。
歳をとるにつれ、遊ぶ時間も減り、以前は2匹でくっついていたソファも、それぞれが別の場所に寝床を構え各々で過ごす時間が増えた。
高いところへのジャンプなど、できないことが増えるたび、それを補うように人間が窓際への階段を作ったり、お気に入りのソファへのスロープを用意したり、出来る限り今までと同じ行動ができるよう手を尽くした。
猫たちもそれを受け入れ、変わらぬ生活がそれなりに長く続いた。
2匹揃って、20歳、21歳を迎えることもできた。
それでも最後は、トイレの場所は分かっていてもそこまでが遠く歩くのがだるいのか、だんだんトイレの少し手前でするようになり、それが徐々にトイレから離れた場所に変わっていった。
できる限りおむつはさせたくないからと、床全面にペットシーツを敷くことで対応した。
食事も、寝床にお皿を持っていき食べさせていた。
介助はあったものの、2匹とも最期の最期までしっかり自分を持って生きてくれた。
くり
お腹と足、顔の下半分が白地で、それ以外はこんがりした茶色い可愛らしい羽織りを着ていた。
猫の姿をしてはいるが実はおキツネの化身なのではないかしら。
ライオンやサーバルキャットにも似て、猫科としてはサバンナ系統なのだと思う。
母曰く、くりはうちに来た当初身体が捩れ、ななめりながら歩いていたらしい。
(何かの記事で子猫にはよくあるとかないとか見た気がしないでもないけど忘れた)
そして母はとりあえずくりの全身にひまし油を塗っていたらしい(笑)。
私は全く知らなかったが、くりの捩れは治っていたらしいのでよかったのだろう。
くりは、おおらかというか、天然というか...
あまり物怖じもせず細かいことも気にしない堂々としたマイペース子だった。
子猫のうちは色んなものに興味を持ち、自分の過ごしやすい場所を見つけたら誰がこようとそこは自分の場所だとどっしり構えていた。
最終的にはソファからはひなも人間も追い出され、くりが10年ほど単独使用をかましていた。
猫を飼い、初めて友達が家に来た時、ペットを洗うということをしてみたく、くりを洗ってみたが、多分嫌だったのだろう、びしょ濡れで「あおー...」と母に助けを求めるように鳴いていた。ごめんよくりたん。
誕生日会でクラスの子たちがうちに集まった時も、くりはみんなの輪にやってきて、順番に抱っこをされていた。
私がバイオリンを始めた時は、リズムに合わせて尻尾をぴよぴよ動かしていたのが印象的で、とても可愛かった。
初めの頃は掃除機の音も嫌いだったのに、次第に掃除機をかけてもそのまますやぴしているくらい慣れていた。
くりのお気に入りの場所はソファだけでなく、日当たりの良い窓際、人間共の椅子、キャットタワー最上部、冬はこたつの中、ストーブの前などがあった。
特にストーブ前はお気に入りで、毎年必ず冬場はくりが最前列を占拠していたし、足が弱ってきてからもストーブ前だけは自力でたどり着いていた。
体がまん丸になりキャットタワーに登れなくなってからは、父の膝の上もお気に入りに加わったようで、父がこたつ布団を膝にかけるとのそのそとその上に乗ってはもみほぐされ気持ちよさそうにしていた。
また一時期は、母の仕事部屋の椅子を気に入り、リビングの扉を開けるとそこに向かうように歩いたり、運んでもらえるよう自らキャリーケースにも入っていた。(お運び希望ですにゃ。)
そして母が電話を受けるたび「あおー!」と元気よくなき、人の話の輪に入りたそうにしていた。
そして、くりといえば「オオモリ」。
うちでは猫の💩のことを「モリ」と呼んでいたのだが、くりのモリは人間のように大きく(笑)、オオモリと呼ばれていた。
ゆえ、くりは「オオモリ大臣」に。
病気もほとんどせずすくすく育ってきたが、17歳の頃、いきなり食べなくなり、まん丸だった体がげっそりしてしまったことがあった。
焦った母が今までとは違うご飯を出すようになりなんとか元気を取り戻したが、あの時は怪しかったのである。
その後、お尻周りをしきりになめ、腰を触ると激オコだったことがあり、よく見ると肛門の下が灰色になり破れかけていて、この時去勢以来初めてどうぶつ病院を受診した。
肛門腺から膿が出ていたらしく、先生もおおらかな人だったので、膿ができってしまえば治るから大丈夫と、抗生剤と様子見だけで治った。
20歳をすぎたあたりから今度は異常によだれが出始め、今度は片方の頬が破れかけていて、これは痛そうでくりもしょんぼりしていた。
(それでもご飯は食べていた)
この時も病院に行き、おそらく重度の歯周病だろうと。
歯石が頬を傷つけ破れてしまっているようで、これも破ければとりあえず炎症は治るとのことで様子を見た。
実際頬の腫れは治まったものの、全身麻酔を要するため歯石の除去は行えず、シリンジで口を洗うくらいしかできなかった。
小さい頃から歯磨きをしていればよかったのだろう...
ご飯や水はしっかり摂るも、咀嚼をするたび「はみごり」という音がして、食べづらいのだろうなと心が痛かった。
それからさらに時は流れ、一時期吠えたりもしたが、次第にそれはおさまり、今度は足の筋肉が弱くなり「よてよて」と歩くようになった。
バリアフリーを心がけていても、どうやって落ちたんだというところに落っこちてしまったり、引っかかってしまったり、はまってしまったり。
くりは危ないことが多かったが、本人はあまり気にしていなかった。
💩もトイレの外でしてそれを踏んでしまうことがあったため、最後の2ヶ月だけはおむつを付けてもらっていた。
くりはあまりおむつが付いていることを気にしていなかったが、冷たい脱脂綿でおしりを拭くと、びっくりして足をパタパタさせていた。
徐々に寝る時間が増え、移動する範囲が狭くなり、食べる量も減り、最期は本当にそのまま眠るように息を引き取った。
最後まで美味しそうに食べていたのは、やはりホタテだった。
ホタテの出汁汁も、ゆがきホタテも、生ホタテも。
マグロを卒業し、メディファスを卒業し、最後に選んだのはやはりホタテだった。
頬が破れてしまった時も食べに来てくれてたホタテ。(ホタ死守)
本当に、いつもいつも美味しそうに食べていた。
食べない期間が長く続かなくてよかった。
2日前までちゃんと食べれていてよかったよ。
たくさん食べてくれてありがとうね。
たくさんの可愛いと愛しいをありがとうね。
ちなみに私は顔パンチを食らったこともある。
ひな
くりがおっとりしたマイペースな子に対して、ひなは器用で繊細だけど器の大きい子だった。
くりにおもちゃや寝床を取られても、はいはいという感じで場所を譲り、ケンカになることはほとんどなかった。
青年期はあまり抱っこされることが好きではなかったが、人に対する警戒心はなく、お客さんにもよく擦り寄っていた。
猫トイレを掃除しているとき、その横に転がりブラッシングを要求してきていた時期もあった。
ひなは、シャンプーや洗剤、またたびの匂いが好きなのか、風呂上がりの髪やバスタオルに異常にスリスリしていた。
お客さんが来た時、うちと違う洗剤に反応したのか、しばらく服をスリスリしていた。
そして棚から落ちていた(笑)
またたびもくりより好きで、少し食べが悪いご飯にはまたたびをかけて誤魔化していたことも。
また、ひなは器用なので、昔は部屋に出たクモやGなどの小さな虫をよく捕まえていた。
そしてひなは、よくどうぶつ病院にお世話になった。
ひなはノルウェージャンという北欧の猫だが、もう生粋の和食好きで、食べるものは焼きかつお、甘エビ、ホタテ、マグロ、かつお節、海苔、煮干し(塩分ゼロ)、そしてバランス栄養食としてメディファス(ウェット/カリカリ)など。
猫を飼うとエンゲル係数は爆上がりするのである。
甘エビは食べると吐くようになってしまってからはやめて、代わりにエビ味を始めちゅーるをおやつとして出すようにした。
昔は特に海苔や煮干しが好きで、塩分は入っていない煮干しなどを選んではいたが、頻繁に尿路結石ができてしまう時期があり、その頃はよく病院に通っていた。そして大暴れ。
石ができるとおしっこが出なくなってしまうので、ひなも尻尾を垂れ下げ辛そうにしていた。しかし先生もおおらかだったので、無理に手術をせず、水をたくさん飲んで石を出しましょうという作戦になり、結果綺麗に石が出てきてくれてよかった。
それから煮干しはほとんど出さなくなり、代わりにマグロとホタテの量が増え、ホタテは蒸ホタテより生を好むようになり、最終的には直径3cmほどの生ホタテを毎日出す始末で、食費が大変なことに。笑
それからしばらくは何事もなく、足に斑点があったり、爪が伸びて肉球に刺さってしまったりで時々お世話になったが、どちらも異常はなく爪も切ってもらえて(家でやると大暴れ)良かった。
しかし、一度毛玉を切っている時、母が誤って皮膚まで切ってしまい、緊急で縫合してもらうということもあった。
ハサミを入れた時ひなが「ギャオン」と言っていたし、それから家中を走り回っていたので、相当痛かったのだと思う...以後毛玉切り係は私に。
年々ブラッシングを嫌がりモフハウスに引きこもるようになってしまったので、毛玉の処理は追いついていなかった。
そういえば猫って、洗わなくても自分の毛繕い(確か唾液)で清潔を保てるらしいので、ずっと無臭だった気がする。
20歳をすぎたあたりから、少しずつひなにも変化があった。
足腰も丈夫で、高いところにも飛び乗ったり、くりより行動範囲が広かったし、食欲も日に日に増し?ていたし、元気に見えていたけれど、吐く回数が増えたり、やたらくしゃみをしたり、吠え(ぼえ)たりもしていた。
老化に伴い目や耳が悪くなると不安で吠えるように鳴くこともあるらしいが、どちらかと言うとオオカミの遠吠えに近く、定期的にテーブルの上に乗っては吠え、しばらくすると落ち着くという感じだった。
それ以外に異常がなかったので特に病院にも行かなかったし、むしろ元気に吠えていると少し安心していた。そして「ボーエー大臣」という異名も付くなど。
しかしある日、お気に入りのモフハウスに入らず、その手前で座っている日があった。
しばらくしてまたモフハウス在住(いや高台にあったので崖の上の城と呼んでいた...)に戻ったが、別の日、たまたま私がリビングにいるタイミングで、モフ城内で発作がおきているのを確認した。
私も初めてだったのでびっくりし慌てて、でもほんの数分で落ち着いたのですぐ病院に連れて行った。
ひなは発作後、ずっと敷いていたタオルを噛み、緊張状態だった。
起こったことが怖かったのだと思う。
これがてんかん発作だと知り、今後もまたあるだろうが、しばらくすればおさまるので、周りに危険なものがないか確認するよう言われ、出来るだけ安全なスペースを作り上げた。
特別な治療や投薬はせず。
病院から帰ってきてからしばらくは、ひなは崖の上へは帰らず、リビングの隅っこの床で丸まっていた。
冬だったから寒いかなと思い、四方を段ボールで覆い、下にもクッションを敷き、第二キャッスルが完成した。
以前、モフに帰らずにいた時も、もしかしたら発作がおきていたのかな。怖かったね。
それから数回発作を確認したが、雨が降っていたり、雷の鳴った次の日だったり、比較的低気圧の時に発作が起きがちだった。
発作が起こるたびひなは第二キャッスルに避難していた。
隅っこで隠れられるところが落ち着くのかもしれない。
ひなはデリケートだからね...
それ以降は発作を確認しなかった。
その後、一日3回くらい吐くようになり、どうかなーと様子を見ていたが、食欲もあり落ち着いているのでそのまま様子見に。
そして、徐々に食欲が増し、くりの分のご飯も横取りするようになった。
だからそのせいで体重が増えているのかなと思っていたが、突然、明らかに前日とは違う抱っこの感じで、丸みも増し、少し怪しいねとなり、病院へ行った。
その時はガスが溜まってますねと言われ、胃腸薬をもらっただけだったが、やはり丸みは増し、便秘にもなっていたので、再び病院へ行くと、腹水が溜まっていると言われた。
よく触ってみると、丸いのは腰回りだけで、ひな自身は筋肉も落ち骨張って痩せていた。
腹水が溜まり始める頃にはもうすでに炎症はかなり進んでいると...
そしてひなの腹水が発覚し数日後、くりが旅立った。
ひなは最初は気づいていないのかいつも通りだったけど、しばらくしてからくりがいた場所がいつもと違うとわかったような顔をしていた。
そしてひな自身も徐々に身体が重だるいのか、くりがいなくなってしまったストレスか、動かなくなり、モフハウスからもお水とトイレ以外は出てこなくなり、ご飯をお運びするようになった。
徐々にトイレを手前でするようになり、時にはトイレの中に座り込むこともあった。
雪の降る寒い日だったが、黒い大きなアリが2匹リビングにいたんだよね、なぜ。
腹水を多く抜いて点滴をした日、いつもは病院で大暴れだったひなも大人しく、もう暴れる気力もなかったのだろうか...、帰ってからはまた第二キャッスル住まいとなった。
3日経ってもそこから動くことなく、いつもより元気もなくか弱い声で鳴いていた。
心が痛い...
ご飯も、出汁汁を飲むも大好きなホタテはあまり食べず、チュールだけ食べる日が続き、お水もチュールも口にしない日がやってきた。
その日は早かった。
朝から何も口にせず、トイレに出かけるも歩けず途中で倒れてしまい、城に戻すも、落ち着かず、立ち上がっては倒れてを繰り返していた。
夕方から目が閉じ始め、だるそうな時間が続き、夜に身体を起こした際吐いてしまい、それから意識が遠のき、そのままひなは息を引き取った。
腹水の中には腫瘍細胞もあり、おそらくリンパ腫だったのではないかと。
吐いたりくしゃみしていたりというのはが初期症状だったのだろうな...
でも最期まで自分で歩いて、猫じゃらしにもじゃれてくれて、ご飯もいっぱい食べていたのだから、辛い闘病をせずにすんだと思えば良かったのだろうか、それはひなに聞いてみないと分からない。
くりと違い、苦しそうな最期だったから悔しい。
穏やかなものにしてあげられず、ごめんね。
いつも穏やかに、時に賑やかに
たくさんの時間をありがとうね。
13日の契約
くりは私の誕生日の朝に息を引き取った。
それまでの数ヶ月、くりがいつどうなるか分からなかったため、必ず家には一人人間がいる状態で見守り、最後の一週間は夜も私がリビングでくりと一緒に寝ていた。
数時間おきに目覚ましをかけ、くりの様子を見、朝方早番の母に変わり自室で休息をとるという一週間だった。
くりは人の輪にいることが好きだから、絶対夜中一人でぽっくりいってしまうことはないだろうと思っていたし、そうなりそうでもそうはさせたくなくて、夜中もつきっきりでお世話をしていた。
やはりくりはみんなの輪にいることが好きだったようで、その日の朝、みんなが起きてきて仕事に行く準備をしている間に息を引き取った。
2日前から食事をしなくなったくりに、母がシリンジでお水を飲ませようと抱き上げた時だった。
みんなのいるリビング、その中心に置かれたソファで。
大寒を過ぎたその時期にしてはとても暖かで良く晴れた日だった。
くりは、私の誕生日まで待ってくれて、朝みんなが揃う時間までも待っててくれた。
ありがとうね、21年以上しっかり生きてくれてありがとう。
くりが亡くなった2日後、高尾霊園にて火葬を執り行ってもらった。
その日は2日前とは打って変わり、肌に冷たさが突き刺さるような寒さだった。
暑いと私の体調が崩れるからと、気温を下げてくれたのかな。
担当してくれた火夫の方は、くりのことをとても大切にしてくれたので嬉しかった。
21歳と半年、随分痩せ細ってしまっていたけど、骨はほとんど綺麗に残り、歯や爪の手前、尻尾の先端などもしっかり残っていた。
くりたんすごいっ
火葬が終わる時間に待合室から出ると、一羽の白鷺(コサギ)が空に向かって飛んでいった。
来た時は空全体がどんより曇っていたのだけど(1)、火葬が終わったその時は青空が見えてきて、コサギはそこに飛んでいった(2)。
くりが空に帰るのにコサギをタクシー代わりにしたのかなって、()
それから13日後、ひなが息を引き取った。
くりがいなくなってから寂しさもあったのか、持病の進行がたまたまその時期だったのか、徐々にご飯を食べなくなり、元気がなくなっていった。
ひなも心配だったため、リビング睡眠は継続し、見守っていた。
くりと違い、ひなはプライドもあり何となく夜中に逝ってしまうのではないかと思っていたから、朝方母に代わるまでほとんど起きていた。
そして、もしかしたらくりのいなくなった13日後にひなも逝ってしまうのではとも薄々思っていた。
ひなはくりの生まれる13日前に生まれていたから。
まさか本当に13日後に還ってしまうとは。しかも、やはり夜だった。
日中は、雲一つない晴天、とても綺麗な空が広がっていた日だ。
ひなは、ひなたぼっこに由来された名前だから、「太陽神オヒナス」でもあるから(私が勝手に名付ける)、綺麗な空を作ったのだろう(だといいな)。
くり同様、ひなも後日高尾霊園にて火葬をしてもらった。
行きの電車に乗ってる時、途中駅のホームでくりの化身(茶白猫)がお見送りに来てくれていた。
今回の火夫の方もとても丁寧にひなを扱ってくれた。ありがとう。ひなも、21歳と7ヶ月以上、しっかり生きてくれてありがとう。
ひなの骨も、くり同様しっかり細部まで遺っていた。💩も残ってたみたい。
この日も綺麗な青空が広がる良い天気だった。
ひなを連れて霊園に入った時、(多分鯉が跳ね)、池の水がパシャンッと波打った。
そして火葬が終わり帰る時には、さっきまで青空(3)だった場所には大きな大きな雲(4)が広がっていた。
それはひなのサバ模様のようにも見え、その奥の雲は龍のようにも見えた(妄想)。
一度水に入ったひなが龍となり大空を舞ったのかなって(妄想)。
ここのお寺は龍雲山と名がついてるから、そう思いたくもなるのですよ。
くりの時は1ヶ月前から頭に「大きな古時計」がずっと流れていたけど、ひなの時は一週間ほど「いのちの名前(千と千尋)」が流れていた。
ほらやっぱり龍だから!!!(妄想)
帰りの高尾駅に見えた雲は、ひなの額の縞模様のようにも見えた(5)。
そういえば、昨年末に祖母が亡くなったのだけど、その月命日も13日だった。何だろうね。
そこに猫たちがいた記憶はまだ鮮明に残っている。今も、この床を歩いていたり、ソファで寝ていたり、ストーブで温まっていたり、台所でご飯を要求したり。
ついこの前まであった日常が、もうない。
二人が今も未来も、ずっと、ずっとどこにいても幸せであってほしいと、祈るばかり。
猫が10歳を超えたあたりから、『猫の寿命は15、6歳だからこの子たちもそろそろ...』と、猫の死を恐れていた。
でも猫たちはそれから元気に10年以上過ごしてくれたし、その間私の心も成長した。
私は臆病で怖がりだから、成長するまで待っててくれたのかな。
それとも、その数年後私が体調を崩し引きこもるから、そこから元気になるまでも一緒にいると決めてくれてたのかな...
たくさんの幸せをありがとう。
また会おうね、絶対だよ。
くりの戒名(自作)
クリ篠宮家 アンニャクリクリ丸
候補(現世のあだ名)
くり氏、くり丸、くり氏丸、じゃがポテト、アンニャクリクリ丸、オム丸、
ひなの戒名(自作)
Elegant •Norwegian = Ohhonhin Bauer
候補(現世のあだ名)
ひなりん、ひなりんちゃん、おひ、おひ丸、おほひ、おほひ丸、おっほひ丸、Elegant •Norwegian = Ohhonhin Bauer 、ウンニャリング・ポンニャリング、ウンニャンポン丸、
ネコ、マズルが短くもきゅっとした顔がとてもよい。
もっふりしたフォルムもよい。
尊い....
はぁ、猫が部屋にいなくてパニックになる...
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