傾聴は知ろうとする心から。神様の御心も知ろうとしなければならない。
こんばんは。
人間関係においてとても大切な姿勢である「傾聴」
相手の言いたいことを聞き手の主観的な判断を加えずに受け留めることですが、これ、意外とむずかしいものだと思います。
うん、そうだね、そうなんだ、と「否定しない」よう応答しても、話し手が受け入れられたと感じられる場合とそうでない場合とがあるようです。
感じ方も、表現も、感受性も、性格も、人それぞれ千差万別ですが、その人をきちんと理解しようとしたら、長い時間をかけて話して伝えてもむずかしいものでしょう。
過去から今までの出来事を丁寧に語りながら、追体験し、感情を共有してこそ、少しだけわかるものだと思います。
「あぁ、だからあなたはあの時あんなふうに話したのね。」
「あぁ、だからあなたは黙ってあのように行動したのね。」
分かったとしてもそれでもその人のすべてではありません。わたしは、相手のすべては知らないのだ、知っていこう、教えてください、という謙虚さを持つことと、自分の主観と気分で相手や状況を安易に判断しないことはとても大切です。
分かったつもりが招いた失敗。学生や社会人の皆さんなら、誰しも経験があるのではないでしょうか。
そして、それは人と人との間のことだけではなく、人と神様の間のこともそうです。
御言葉を教えてくださっている鄭明析先生は今もずっと聖書を読まれ、さらに学び続けていらっしゃいます。
その姿勢は、わかったからもう終わりではなく、いつも神様に一言だけでももっと教えてくださいと、謙遜に敬愛と真心で進み出られる姿です。
鄭明析牧師を見て、わたしもこのようでありたい、と思います。
今日もお読みいただき、ありがとうございました♡