「孤独な人は本を読め」と、いうけれど、本に救われない寂しさが、深夜にはありませんか。
「孤独な人は本を読め」という言説があるが、本で孤独は溶けない、と思う。残念ながら。
僕の精神世界が本の滋養を吸収できるほど、成熟していなかっただけかもしれないけれど。
高校を中退して引きこもって2年間、現実逃避に1日中本を読んでいた。ずっと寂しかった。
4月にはInstagramで高校の同級生が、新歓の様子をupしたり、12月には今まで男子校の同級生だったくせに、大学に入って初めてできた恋人とクリスマスのイルミネーションを上げているのをみると、胸が締め付けられるような寂しさと劣等感に襲われた。
4畳半の狭い部屋に引きこもり、朝日がさした頃に寝て、昼過ぎに起きていた。僕にとって煌びやかな大学生活は、中東の紛争と同じくらい遠い世界だった。新歓もクリスマスも羨ましかった。
「サークルの新歓後に後輩を家に連れ込んでセックスしてしまう」系のAVとか、サンタコスをした金髪彼女とのハメ撮りの洋物とか、僕が外の世界と関わる窓は、パソコン画面のアダルトサイトという、外と繋がっていない行き止まりだった。
見終わってティッシュをゴミ箱に捨てるうちに、画面が暗転すると引きこもって油ぎった醜い自分の顔が写って、賢者モードに拍車がかかった。もはや何もやりたくないし、死にたかった。
しかし、ニートというか高等遊民というか、ただのプライドだけ高い引きこもりには、やりたい事も、お金もない。時間だけは死ぬほどあって。ついでに10代最後の18.19歳の性欲があった。気がつくと数日あけずに再び右手を動かしていた。死にたくなる10代の過ごし方だ。
大学に入ったあとも「浪人していた」とは言ったことがあるが。
その期間が2年だったとか、実は予備校に通うような世間のイメージとは違って、僕は上記のような引きこもり生活を送っていたのだ、とか。そんな吐露は、プライドと恥が口を塞いで、大学4年生になった今でも、まだ、誰にも言えたことがない。怖がりだね。
結局、寂しさを溶かせるのは「大学生」という世間から胡乱な目で見られないための肩書きだ。
そして、深夜に寂しくなった時に「起きてる?」とLINEができる気のおかない友人だ。
「あなたが好きだ」と目を見つめて、抱きしめ合える恋人だ。
僕を救ってくれたのは本ではなかった。
寂しいまま、このクソみたいな自分と現実から現実逃避したくて、本の世界に意識を飛ばしていた。現実を見つめたら、頭がおかしくなりそうなほど、寂しかったから。
まるでSFの世界で主人公が宇宙に旅立つように逃げ出したいと思って、本に縋り続けた。その信仰は報われることなく、寂しいまま、布団と抱き枕を抱きしめて、毎晩のように泣いていた。人の声が聞けないと寝れずに、毎晩ツイキャスを枕元で再生して寝ていた。そのキャス主がある日恋人の話をして、ショックを受けた自分が、気持ち悪かった。まるでアイドルに勝手に期待して、恋愛報道で怒る、熱心なファンみたいな感情が、自分の中に蠢いていた。
「成長過程にした歪んだ経験は、一生その人の性格を形作る」と、ある精神科医の著書で読んだ。引きこもる寂しさで、2年間棒に振った僕は、どこか歪んでしまった気もする。
文章を書くのは、その救いみたいなものを求めて、自分が救われたい言説を紡ぎ出したくてスマホの液晶版に指を叩きつけているのかもしれない。
2022/06/05 早朝に起き、豆を挽いて珈琲を淹れ、「日曜日にやりたい事リスト」を書いたあと、満を決して二度寝して気がついたら日曜日が終わりました。勉強する!とか、積読してた伊坂幸太郎を読む!とかには一つも斜線が引けないまま。やけ食いで寝起きにピノを頬張りました。