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承認欲求のうさぎと、ペンネームの「私」へ。
1ヶ月書くチャレンジ 26日目
「今日1日にあったモヤッとしたこと」
noteの通知を確認する頻度が増えると、「あっ、来たな」と感じます。
ただ書くだけじゃ足りなくて、数字を追いかけてしまう波がやって来ちゃったな、と。
私は以前、「承認欲求はうさぎのようなもの」と書いたことがあります。
「承認欲求」って、うさぎに似ていると思います。
寂しがらせると弱っちゃう、そんなイメージ。
ずっとよしよしなでなでしていて、そろそろ大丈夫かな……と思って距離をとると、猛ダッシュで突進してくる、それが承認欲求。
あえて「これはうさぎ。ただの真っ白でふわふわなうさぎだから大丈夫」と思っていないと、飲み込まれてしまいそうで怖くなることもあります。
そして、そんな存在に振り回されてしまう、自分自身の心の弱さにうなだれるまでがワンセット。
心身ともに元気なときはすぐさま「いや、弱くないよ、私。大丈夫」と思えるのですが、そうできないターンがあるのもまた人生です。負の波はやり過ごしていきたいのに。
最近、悩んだり後ろ向きになったりするのを前向きに変換して励ましてくれるのが「桜小路いをり」としての「私」なんじゃないかなと思っています。
「桜小路いをり」が明るい言葉を選ぼうとするのは、根本的な部分が陰だから。
「ポジティブなことへの感度が高い」と言ってもらえるのは、もともとの私自身がネガティブで、些細なポジティブが他の人に比べて強く光っているように見えるから。
別に、「桜小路いをり」として前向きな人物を演じているわけではありません。
私の中の「桜小路いをり」は、私自身と重なる部分がたくさんある一方で、ちょっとだけ違う存在です。
前向きになりたくて、前向きであるためにものを見て、考えて、言葉で肯定していくひと。
私の内側にいる、明るい場所へ手を伸ばそうとする存在に、名前によって輪郭を与えたもの。
それが、「桜小路いをり」です。
実は、最近記事の冒頭に「こんにちは。桜小路いをりです。」と書かなくなったのも、これに気づいたことが理由であったりします。
始めに「桜小路いをりです」と名乗ってしまうと、私自身の生々しい気持ちが、上手く書けなくなってしまうような気がして。
……なんて、ペンネームによって作った私と、生まれてからずっと付き合い続けている私について考えたところで、根っこはどちらも「私」なのですが。
前向きなようでいて、実は誰よりも承認欲求のうさぎさんに振り回されているのは「桜小路いをり」のほうの私なのだろう、とも思います。
そっちの私は、あくまで文章を書くための「私」なので、「読まれていない」と感じると、もやもや、そわそわしちゃうんだろうな。
大丈夫だよ、「私」は「あなた」をいちばんよく分かっているし、誰よりも大切にしているから。
今回お借りした見出し画像は、うさぎさんのイラストです。ほわほわ優しいタッチがかわいらしくて即決でした。
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